Discover us

私の好きな映画

椿五十郎 バッジ画像
2024/01/09 18:05

新年の 最初の連休 観る映画 長くてムズイ 映画おススメ 『TAR/ター』(ちょこネタバレ)

【はじめにお詫びとお断り】
本コラムは正月休み向けに執筆したものですが、諸般の事情によりそれまでにアップできず、成人の日に合わせた今年初連休用として再構築したものです。しかしながら、ずぼらな性格なくせに、やたらと長い文章を書きたがる筆者の悪いクセがでまくってしまったため、成人の日連休にも間に合いませんでした。かといって、本文を書き直す気力もなく、本コラムをお読みいただけます皆様におかれましては、成人の日連休にお読みいただいている態でご対応いただきたく、なにとぞよろしくお願い申し上げ奉りまする・・・。

(以下本文)

 

 

※タイトルを、声を出して読んでみてください。新年ぽくなるかも~


皆さん

明けまして、おめでとうございますっ

椿です。
 

 

いよいよ2024年が始まりました!
本当は、正月の冬休みの時間がたっぷりあるときに見てほしい映画!ということでコラムを書いていたのですが、、、なっ、なんと・・・

パソコンがフリーザ、じゃなかった・・
フリーズするという惨事に見舞われ、かなり書いていた記事がすべて飛んでしまいました。ああっ、もうダメだぁ・・・

そう思っていたら、なんともうすぐまた連休があるではないですか!
これは気を取り直してってことで、新年一発目の椿が語りたい映画は・・

 

『TAR/ター』

 

でございますです。
椿がみた2023年公開の映画の中でベスト1の本作。
公開当時、かなりの話題をかっさらい、批評家、映画ファンの間で賛否両論巻き起こした、近年まれにみる問題作でございました。

ご覧になった方も多いとは思うのですが、ご覧になった方には、今一度、この作品の魅力について振り返っていただきたい、という思いと、未見の方には少しでも「見てみたい」と思うきっかけになればと思い、コラムをしたためたいと思います。

【あらすじ】

 

女性指揮者として初めて、世界最高峰のオーケストラ、ベルリンフィルの首席指揮者となったリディア・ター。ベルリンフィルではまだ誰も成し遂げたことがない、グスタフ・マーラーの交響曲全集のレコーディングも、あとは交響曲第5番を残すのみとなり、エンタメ界の期待を一気に背負っていた。名実ともにクラシック音楽界の帝王に君臨したター。順風満帆に思えた彼女の音楽家人生だったが、

あることがきっかけでその権力が音を立ててガタガタと崩れてゆく。

 

【どんな映画?】


楽壇の頂点を極めた女性が貶められ凋落してゆく様を描いたスリラー映画ですが、リディア・ターという指揮者が実在して、その指揮者を追いかけるドキュメントフィルムを見せられている感じもします。そして、一部に、ホラー映画の要素も・・・。
157分という長尺である上に、クラシック音楽の専門用語や業界話が多数盛り込まれたり、物語が劇的な展開を迎えることは無く、ターがじわりじわりと追い詰められてゆく様を描いていくので、人によっては冗長に感じるでしょうから、観る人を選ぶ作品かもしれません。
 

【リディア・ター】

 

(c)2022 FOCUS FEATURES LLC.

ターは指揮者にして民族音楽の研究家、そして作曲家でもあります。彼女はアメリカのエンタメ業界の様々な賞を受賞。特にアカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の四大賞を受賞した、数少ない人物の一人。
指揮をレナード・バーンスタインに師事。その後アメリカの主要楽団の指揮者に招かれ、実力を認められ世界最高峰のオーケストラ、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団初の女性指揮者となる・・。

映画冒頭、彼女の経歴がインタビュー番組の中で紹介されます。このシーンは結構な時間を割いています。インタビューでは、ターがいかに「音楽」に対して前向きかつ真摯に、そしてストイックに向き合っているかがわかります。このシーンで長さを感じてしまう人もいるかもしれませんが、ターという音楽家を知るうえでとても重要な場面です。
もちろん、ターという人物は架空の人物であり、彼女の華々しい来歴を有した人物というのも現実世界で、男女の性別関わらず実在しません。ちなみに、このインタビュアーは「ニューヨーカー」という雑誌で実際にライターとして活動しているアダム・ゴプニク本人。こういったリアルとフィクションを巧みに織り交ぜた演出が、観客にあたかも、ターが実在の人物であると錯覚させてしまう効果があります。

ターはレズビアンでカミングアウトしており、ベルリンフィルのコンサートマスター(オーケストラ内での音楽的なリーダー的立場の楽団員)であるシャロンと交際しています。二人は養子をとり、二人の子供として育てています。
一方、公私共に認めるパートナーがありながら、自分の弟子である若手の女性指揮者に手を出し、自身の手に負えなくなると非情に切り捨てるどころか、相手の将来を踏みにじるかのような卑劣な行動に出る、セクハラ・パワハラ体質も持ち合わせています。その仕打ちに相手が耐えられず自死を選択しても、ターは入団したばかりの若手女性チェリストに色目を使い、モノにしようと企みます。

音楽に対する姿勢は模範的であり、その人気や実力に奢ることもない。ことさら華美な生活を送るでもなく、クラシック楽壇の頂点に立ちながらもそれに安住することなく、音楽に向き合う姿に、なるべくしてなった指揮者の頂点を感じさせるのですが、自身の性的嗜好には歯止めを効かせることができず、その地位を利用して相手を屈服させてしまう最低な所業を行う。ある意味人間らしい、清濁併せ持つ人物として描かれています。

ターがジュリアード音楽院で指揮を学ぶ学生を指導していた時、バッハの音楽について聞かれた学生が、バッハは女性に多くの子供を腹ませた破廉恥漢だから、好きではないと応えたため激しく叱責。ターの指摘は非常に正しく、作曲家個人の行動と、その人物が創作した作品を同一視すると、作品の本質を見失う。正直、クラシック音楽の作曲家など、人間的には非常に問題の多い人物だらけであり、それを問題視していたら、クラシック音楽など聴けたものではありません。
そういう意味ではクラシック音楽というものも清濁併せ持った人間の光と闇によって生み出された産物であり、ターの二面性もクラシック音楽を体現しているともいえるでしょう。

しかし、それが許されないのが現代。彼女の行為は、それにより人間としての尊厳や将来を奪われた人々により暴露され、つるし上げられ、社会から粛清されてしまう。ターは現代という時代の流れについてゆけない人物であったのやも、しれません。

 

【音楽家(おんな)達の愛と打算】

(c)2022 FOCUS FEATURES LLC.

ターと、彼女を取り巻く女性たちは互いを愛しながらも、お互いにその存在を利用しようというのが見え隠れしており、人間というものの業の深さを感じてしまいます。

まず、ターと、公認のパートナーで、ベルリンフィルのコンサートマスター、シャロンとの関係性です。
コンサートマスターとは、そのオーケストラの音楽上の中心となる存在で、指揮者の意志を楽団員に伝えるのみならず、そのオーケストラの音楽を統一させるために必要で、裏の指揮者ともいえますし、オーケストラ内で最も重要な人物でもあります。
ターがシャロンに近づいたのは、単に恋愛対象の女性であると見ただけでなく、首席指揮者等は、団員たちで、民主的な方法で決めることになっているので、そのオケの中心であるコンサートマスターだったシャロンと関係を持つことで、首席指揮者選任やオーケストラの運営に関して、自分の優位に事が運ぶことを狙っていたのではないでしょうか。
一方のシャロンも実力伯仲のオーケストラの中にあって、コンサートマスターという座は多くの団員の羨望の的。首席指揮者という絶大な権力を持つ人物と関係をもつことは、自身の立場を守ることにつながるといった打算も働いていたのではないでしょうか。だから、ターが、複数の若い女性に手を付けていたり、気に入った女性楽団員にえこひいきするのをわかっていても、彼女を殊更非難することもなく、別れることもしなかった、と考えられます。

ター凋落の要因となった、弟子の女性指揮研究員の自死。彼女もターに関係を迫られ愛人となったようですが、そのことをネタに、他のオーケストラの指揮者への推挙を迫られたのか、それとは逆に、彼女の方がターに沼ッてしまって重がられてしまったのか、ターは彼女への嫌悪を露にします。映画内での彼女の存在がターを深く追い詰めてゆくことを考えると、彼女のターに対する愛情の重みが耐えがたいものだったというのが推察できますが、彼女がターを受け入れて関係をもった当初は、指揮者になりたいという夢を、この女と寝ることで叶えられる、という打算は働いたでしょう。

ターの秘書であり、やはり指揮研究員であるフランチェスカも自死した女性同様、将来指揮者を目指しターと関係を結び、より近くに居たいがため、彼女の世話係的な秘書にまでなった。ターの音楽性、恋人としての魅力を強く感じながらも、近くにいることでターの女性関係のだらしなさをいくつも見てきて嫉妬と、ウンザリ感を持ち続けながらも、ここまでターに尽くしてきたのだから、いつか自分を指揮者として推挙してくれる。そう思い、付き合いを続けていた。しかし、それが幻想だと知るや急展開で敵に回る。自身の秘密をいろいろと握られているわけですから、これほど怖い敵はありません。また、そんな彼女の気持ちを少しでも気づいてあげられなかったのは、ターが、フランチェスカは自分無しには生きていけないだろう、というような自惚れがあったのかもしれません。

最後に、ベルリンフィルに入団オーディションを受けに来たチェリスト、オルガ。彼女は若く、今時の女性ですが、ターは女子トイレ内で彼女のブーツ姿の足と足音のみで、好みの女性であるとかぎ分けているようです。その後のオーディションシーン。オーディションでは指揮者と複数の楽団員が審査するのですが、公平さと先入観を避けるため、奏者が分からないよう、審査員との間に衝立が立てられています。そのオーディションを受けに来ている人物の中にトイレで会った女性がいることを、ブーツの音で理解し、当然ターはその人物に投票し、採用されます。ただ、この場合はほかの審査員も満場一致で彼女に投票していたので、ターの欲によるものだけではなく実力は正統に評価されています。
その後、まだ正規採用には至っていないはずのオルガをえこひいき。自宅に招いてレッスンしたり、二人で食事したり、送り迎えしたりと完全な特別扱い。更に、オルガが過去にソリストとして演奏したエルガーのチェロ協奏曲の動画をチェックしうっとりとして、次の演奏会にマーラー交響曲第5番のカップリング曲として、団員の意向を問わずエルガーのチェロ協奏曲に決定。ソリストも団員の中から選ぶと言いながら、一番の実力あるパートリーダーはオーケストラに専念させたうえで、強引に団内オーディションを敢行。オーディションまでの期間が短い中で、この曲の演奏経験もある彼女が選ばれるのは自明の理。
ターとオルガの関係性は初々しい恋人同士のようにも見えてきます。しかし、オルガはしたたかな女性であるという事が、ターのスキャンダルが発覚して世に糾弾されてから、はっきり明らかになります。オルガは完全にターを利用していたのです。先にご紹介したシャロンやフランチェスカとは違い、ターを手玉にとっていたのでした。ターはここでも更に追い詰められてしまうのです。


 【神がかった女優たちの演技】

(c)2022 FOCUS FEATURES LLC.

この作品は、まさに神がかり的といっても過言ではない女優達の演技により成り立っているとも言えます。
何といっても、ターを演じたケイト・ブランシェットの演技は、芝居の域を超え、リディア・ターという指揮者が本当に存在しており、スクリーンに映っているのはケイト・ブランシェットという女優ではなく、リディア・ターその人である、という錯覚を覚えます。
監督・脚本のトッド・フィールドは、ターの役はケイト・ブランシェットに演じてもらうことを念頭において台本を書き、彼女にオファーを断られていたら、本作はお蔵入りさせようと考えていたほど。ケイト・ブランシェットはそんな監督の期待に応えるべく、その期待の上をいく芝居で観る者の度肝を抜かせました。
アメリカ英語、ドイツ語、ピアノ演奏、指揮法、指揮者のしぐさまでを独学で学び、それを作品に投影させることができる。彼女の指揮姿やインタビューに答える姿、リハーサルでの演奏者への指示、学生への音楽の指導・・。どれをとってもプロの音楽家のそれと遜色ありません。実際の指揮シーンでも、彼女が実際に指揮をして、オーケストラも彼女の指揮に合わせてちゃんと音を出しているのです。長尺の本作に比べれば、彼女が指揮しているシーンはわずかですが、それでも非常にパンチの効いた音をオーケストラから見事に引き出しているのですから、並の役者ができることではありません。
ターのパートナー、シャロンを演じたのはニーナ・ホス。ドイツの女優さんだそうですが、彼女のヴァイオリン捌きも見事。本当に弾いているのかわかりませんが、素人の私の目には、ほぼ完ぺきに映っていました。コンサートマスターとして、ターの意向を受けて楽団員に指示するシーンがありますが、これも本当のコンサートマスターではないかと思うようなきりっとした立ち居振る舞いと、ヴァイオリンの奏法指示で驚きです。楽団員を演じているのは、ドレスデンフィルハーモニーという一流オーケストラのメンツ。彼らプロを前にしてコンサートマスターを演じるのは、ブランシェットの指揮者と同じくらい凄いことです。
チェリストのオルガを演じるのはゾフィ・カウワー。彼女、なんと女優ではなくてプロのチェリスト!いや、ウソでしょ!滅茶苦茶演技旨いやん!!ブランシェットやホスの逆パターンとは、もっと驚き。演技経験はなく、Youtubeで勉強したり、実際の撮影所に足しげく通い、ブランシェットやホスの演技を見て学んだとの事・・。
こういうキャスティング眼とか、どういうとこにあるんでしょ・・。
 

ゾフィー・カウワー(右)
(c)2022 FOCUS FEATURES LLC.

【思わずびっくりエンドロール!】
 

初見時おったまげたのは、エンドロールがいきなり冒頭に流れることです。おいおい、これってモンティ・パイソンのギャグかよっ、と思ってしまい正直、笑ってしまいました。
これについていろいろな方が考察されていますが、あえて私は致しませんっ

 

【ホラー映画かよ!?】
 

本作、もちろんホラー映画、ではありません。
け・ど・ね~~~~~(うらめしや~な雰囲気でどうぞ~)
 

「意味が分かると怖い動画」的な要素があちこちちりばめられてる・・。
わかりやすい所では・・
・閉まってあるはずのメトロノームが夜中、勝手に動き出し音に敏感なターを困らせる。 
・ランニング中に聞こえる、謎の女性の叫び声
 一説によると、ホラー映画『ブレアウィッチプロジェクト』で使われた叫び声と同じとか・・ 
・オルガを追い入ったアパートはまるで廃墟。そこに不気味に唸る犬の声
・本棚にしまっておいた自分用のマーラー5番のスコア(楽譜)が無くなっている

そして

・前半、随所に、映画内では一切説明ない女性の後ろ姿や影が
 これは一瞬出てくるのだけど、明らかにその女性の存在が観客にわかるように撮影されている。
 と、いう事はこの影、例の自死してしまった指揮研究生がターに付きまとっている姿と考えられます。う~~ヒトコワやんっ!!

し・か・し・・・・
問題はココから!

ターがベルリンのアパートに帰宅。何かを物色するシーンの後方、部屋の境目付近。誰もいないはずの部屋に、明らかにターを見ている女性の影が・・・!!
私、てっきりシャロンが居てるのかと思っていましたが、その後、彼女が出てくるようなシーンは無く、ほかの女性も出てこない。その時は一瞬違和感をもっただけで意識もせずやりすごしてしまいました。だって、そんなホラー的要素を期待してみてる映画じゃないしぃぃぃっ
ですが、いろいろ考察系Youtuberの動画とか見ていると、ここが指摘されてるじゃないですか!もちろん、何かが映りこんでしまった!?のではなく、演出だと言われていますが・・。

しかし、そんなYoutubeを見て知ったのですが、更にもう一回、恐怖映像があるのです。ターの寝ている寝室に座っている女性の人影が!!配信で確認したら・・確かに・・映ってますがなぁ・・・。
この時点で例の指揮研究員は自殺してしまっているし・・。1回目は生霊、2回目は幽霊??演出だとしたら、(いや、演出でしょうけど・・)お前は『呪怨』か『ほんとにあった呪いのビデオ』か!というくらいの恐怖演出。おいおい、トッド・フィールドさん、質(たち)が悪いぜ・・。
(オカルト界隈であまり噂になってないので、まぢ、演出でしょうね。) 

 

【マーラー交響曲第5番】

 

マーラーの交響曲第5番は5つの楽章からなる曲。マーラーの長大な交響曲の中では1時間強と比較的短めな曲で、第四楽章のアダージェットは映画『ヴェニスに死す』で極めて印象的に使用され特に有名かつ人気なため、オーケストラの演奏会には多くあがる曲。実際はトッド・フィールドの知ってるマーラーの曲が5番だったというのが真相らしいですが、この曲を物語の中心に据えたのは旨い演出でした。マーラーの曲はほかにももっと長大で演奏規模の巨大な曲が多くあり、普通全曲録音の最期に残るのはほかの曲のような感じもしますが、あえてポピュラーなこの曲にしたのは訳がありそうです。
《本作で登場する楽章は第一楽章と第二楽章のみ。諧謔的な三楽章、甘美的であの映画を想起してしまう四楽章、そして高らかに勝利を謳う5楽章ではなく、「葬送行進曲」と呼ばれる、トランペットのファンファーレから始まる第一楽章と、嵐のような第二楽章のみが使用されています。
まさにターの指揮者としての葬送を表出するかのようです。》
※お詫び
 《》内で記述した部分について、お詫びがありましたので訂正します。正確には、第一楽章、第二楽章のみではなく、第四楽章も使用されておりました。こと、第四楽章使用シーンはオルガがオーディションを通過してオーケストラに加わってからとなりますので、もしかすると、その官能さと、オルガを性的対象に思うターの心の中が反映されているのやもしれません。その後、顔面にひどいけがをしながら指揮台に立ってリハーサルをするのは第二楽章の冒頭。この先のターの波瀾を暗示させる嵐のような音楽です。 
余談ですが、ターは、この冒頭のトランペットファンファーレを舞台裏で吹かせます。通常はやらない方法ですが、マーラーは他の交響曲で、やはり管楽器のファンファーレを舞台裏で吹かせたり、吹いている楽器を上に持ち上げさせたり、奏者を立たせたり、様々な劇的奏法をとりいれているので、このターのやり方は実際演奏会でやったらどんな効果を生むのか聞いてみたいです。


【クラシック音楽界の話】

 

この作品が、実在の指揮者ターを追ったドキュメント映画だと錯覚してしまうのは、ターを含む主要人物以外に出てくる人物や楽団の名称はほぼ実際に存在するものばかりだからです。こういうのって、肖像権とかそういったものをクリアしているのか心配になるほど。
この作品に登場するクラシック関係の話題をいくつか・・・

①ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
オーストリアのウィーンフィルと並ぶ、世界最高峰のオーケストラ。1882年設立で、アルトゥール・ニキシュ、ヴイルヘルム・フルトヴェングラーとった大指揮者の薫陶を受け独自の音を体現。1955年にヘルベルト・フォン・カラヤンが常任指揮者となり、約40年間彼の指揮の元世界最高のオーケストラと呼ばれる。金属的な輝かしい音色と妥協のないハーモニーはカラヤンサウンドと呼ばれるほど、独特な音色と存在感のオーケストラとなる。カラヤンは最高峰のオーケストラをしてクラシック音楽界を支配した「帝王」と呼ばれます。なので、『ター』を観る前は、ターはカラヤン的な存在と想像していましたが、そこまで専制君主的ではなかったですね。
②レナード・バーンスタイン
前回『マエストロ~その音楽と愛と』で紹介したので多くは書きませんが、ターの師匠ということになっています。ターが没落後、学生の頃見ていたビデオを見て初心に帰る場面で流されたビデオは、バーンスタインが若かりし頃、クラシック音楽の楽しさを伝えるため放送されていた番組「ヤングピープルズコンサート」の一部分。カラヤンと人気を二分しており、彼はウィーンフィルを中心に演奏。唯一ベルリンフィルを振った演奏は、マーラーの交響曲第9番。伝説的な演奏として語り継がれます。(ターが自身のレコードジャケットのモデルを選ぶ中にこの演奏のレコードも含まれます)
③エリオット・カプラン
これは、ターの友人の指揮者で、財団を立ち上げている人物。ターと食事をしながら、彼女の指揮方法をなんとか聞き出そうとしたりして、ターにたしなめられます。財界人で好きが高じて指揮者になってしまった人物である彼。実はモデルが居ます。ギルバート・キャプランという実業家で、マーラーの交響曲第2番が大好きすぎて指揮者になり、指導を受けた後1回こっきりでマーラー2番を振ったところ、これが大評判になり、「マーラー2番専門の指揮者」として世界中のオーケストラを演奏した人物で、レコーディングもあります。もちろん、彼は映画で描かれるカプランとは違って、しっかりとした信念をもって演奏した指揮者です。
カプランとキャプランがかなりそっくりなので、すぐに誰がモデルかわかりました(笑)
ちなみに、ターの師匠の一人で、アンドリス・ディヴィスという老指揮者が登場しますが、彼に似た名前でアンドリュー・ディヴィスという指揮者が存在しますが、年齢も全然違うので多分関係ないと思います。
④クラシック界のジェンダー問題 Metoo問題
クラシック業界って、神聖なクラシック音楽を奏でているところなのだから、そんな下世話な問題など存在しない、と思われているそこのあなたっ。実はとんでもない!クラシック界は問題の宝庫だったりするのです。
ジェンダー的な話からすれば、こういう問題に先進的なはずのヨーロッパのクラシック音楽界は女人禁制的な考え方が未だ主流で、一部の器楽ソリストを除き、女性が活躍している方が珍しいのです。あの名門ウィーンフィルなどは長らく、女性はメンバーとして入ることができませんでした。その禁が取り除かれたのはほんの十数年前です。今現在も禁が解かれたとはいえ、ウィーンフィルで活動している女性奏者は数えるほどですので、いまだに男性優位な楽壇と言えるでしょう。ウィーンフィルほどではありませんが、ヨーロッパの楽団は男性に比べ女性は少ないようです。(この点はむしろ日本の方が進んでいるのかもしれません。と、いうか、日本は逆に「音楽なんか男のやるもんじゃない!」という先入観から、音楽を学び職業にするのは女性が多くなったというだけで、ヨーロッパとは逆な差別現象ともいえます)
そのオーケストラを統率する女性指揮者、というのはもっと狭き門で、本当に少ない。過去や現在で活躍している指揮者で映画の中で名前の挙がったジョアン・ファレッタ、ナディア・ブーランジェ、マリン・オルソップ、アントニア・ブリコのほか、著名なオーケストラを指揮したりレコーディングを行ったりしている女性指揮者はほんの数人です。未だその状態なのですから、クラシック界がいかに男性社会で保守的(男性社会を保守という考え方は好きではありませんが)であるか、推して知るべしでしょう。

(余談ですが、女性指揮者アントニア・ブリコの波乱な半生を活写した『レディ・マエストロ~アントニア・ブリコ』というオランダ映画があります。壮絶な差別やセクハラから彼女がどうやって女性指揮者を目指してきたかを描いた伝記映画です)
 

 

考えてみれば、私たちが知っているクラシック音楽の作曲家といえば、男性ばかりですよね。音楽室の後ろに貼ってあった作曲家のポスターも女性は皆無です。これは、そういう才能のある女性が居なかったからではなく、女性は家庭に閉じ込められて社会的なことを行うことができなかった時代だったからです。本作の重要な作曲家、マーラーの妻アルマも作曲家を志し、マーラーに指導を望んでいましたが、彼はそれを許しませんでした。結局、病気を患い衰弱したマーラーはそんな彼女に手痛く捨てられてしまうような状態となります。マーラーも独特な人生を送った人物なので映画の恰好のネタでした。2本ほど映画がありますが、鬼才ケン・ラッセル監督の『マーラー』が面白いです。本作では妻アルマを悪女のように扱いながら、マーラーが彼女に作曲家になることを許さなかった理由等が示され、夫婦愛の復活が描かれています。

 

 

そして、まさに『ター』で描かれたMetoo問題。
映画の中で登場する、「ドミンゴが泊まっていたホテルの部屋」と、フランチェスカが興奮気味にスマホ撮影して誰かに(おそらく自死した指揮研究生)に送っているシーンがあります。このドミンゴとは20世紀を代表するオペラ歌手であり指揮者でもあるプラシド・ドミンゴ。パヴァロッティ、カレーラスと並び「3大テノール」と呼ばれて毎日のように世界中を飛び回っては舞台に立っていました。松田聖子なんかと共演したこともあります。非常に紳士な佇まいな彼でしたが、晩年、セクハラで数人から告発されました。それでも活動はしているので、真偽のほどはどうだったのか・・。
作中に出てくるターの師の老指揮者デイヴィスの「レヴァインやデュトワのように足をすくわれたくない」ようなセリフがありましたが、これも名指揮者の二人でジェイムズ・レヴァインシャルル・デュトワという人物。レヴァインは長くアメリカの名門オペラハウス、メトロポリタンオペラの音楽監督で生粋のアメリカ人指揮者として本国を中心に大人気、デュトワはフランスの指揮者でフランス人らしく洒脱で華麗な演奏が素晴らしくNHK交響楽団の音楽監督も務めていました。しかし、レヴァインは少年数人に、デュトワも女性数人の性的迫害を告発され、ほぼクラシック界を干された形です。デュトワはNHK交響楽団の音楽監督の座も解除されてしまいました。
この3人とも、私は大好きだったので、こんなことになってしまったのは本当に残念です。彼らの演奏した音楽に罪は無いし、素晴らしいはずなのに、こんな事件でファンがその音楽を色眼鏡で聞くようになってしまう、というのも悲しい話ですし、罪深い話です。

先述した女性指揮者マリン・オルソップが(映画の中では、指揮者界に女性の進出の風穴を開けたとしてターが強く評価していた)が、本作を見て、「なぜ現実社会で男性指揮者の性加害問題が起きているのに、それを女性に置き換えて行う必要があるのか?問題の本質を曇らせるのでは」的な批判をしたと伝えられています。確かに一理あるのとは思うのですが、私は、もしターを男性指揮者の話にしたら映画的に伝わるメッセージが酷く薄まってしまうように感じます。ターの行動は本当にエロオヤジのやってることそのものですが、そのやってしまったことに対する苦しみ等を描くには、いかにもありそうなオッサン指揮者の物語にしてしまっては描き切れない、そう思いました。


【レコーディング】
 

ケイト・ブランシェット指揮
クラウディオ・アバド指揮

『TAR/ター』のオリジナルサウンドトラックがCDとなって発売されています。劇中に流れるヒドゥル・グドナッドティル『ジョーカー』等)作曲の歌や音楽、癒しにも感じる不思議なシャーマンの歌声(エリサ・ヴァルガス・フェルナンデス)も収録されているのですが、なんと、劇中のマーラー5番のリハーサルの模様も収録。もちろん、ケイト・ブランシェット指揮ドレスデンフィルハーモニー管弦楽団です。
そしてこのアルバムがすごいのは、クラシック界の名門レーベルであるドイツ・グラモフォンから出ているという事です。ドイツ・グラモフォンといえば、私たちクラシックファンの間ではなくてはならないレーベルです。
映画では、グラモフォンからのCD化にあたり、ジャケットをどんな感じにしようか、過去のグラモフォンのレコードのジャケットを見比べている場面があります。ターはそこで、カラヤンの後任でベルリンフィルの音楽監督となったクラウディオ・アバド指揮のジャケット写真を採用します。このサントラのジャケット写真はまさにその写真という、なんとも粋な計らい。

 

 

はぁ~
いつも以上に長くなってしまいました・・。
人に読んでいただきためには、わかりやすく、読みやすくは基本中の基本だと思うのですが、ついつい吐き出してしまいたくなる自己満足なコラムを、もしここまで読んでいただけましたら、本当に感謝感激でございます。
この作品は本当に、いろんな場面、いろんな現象が何通りにも解釈でき、SNSやYoutubeなどで沢山の考察がでています。なるほどねぇ、と思うこともあるし、そんなことまで知ってるの?というのもあるし、そりゃおめぇ、ちがうべぇ・・というものまで沢山。でもそれはひとそれぞれですし、観た人ひとりひとりの『TAR/ター』があるのだと思います。私の記事にも一部考察的なものが出てしまいましたが、もともと、私は考察ができるような頭を持ち合わせていませんので椿はこんなこと言ってたなぁ、程度に思っていただき、まずは映画をご鑑賞いただいた上、ご自身の『TAR/ター』を見つけていただけますと幸いです。

疲れた・・・
頭抱えてます
 

 

 

コメントする
1 件の返信 (新着順)
椿五十郎 バッジ画像
2024/01/12 19:08

(お詫び)
本文中、一部誤りがありましたので、その誤った部分を掲載したうえで、どこが間違っていたのか、その部分の後に記述させていただきました。根幹にかかわることなので、お詫びして訂正いたします。大変申し訳ありません。
(2024.01.12)