東宝俳優録9 久保 明
子役出身でスターになった、なれた役者は意外に少ない気がするが、久保明はその中の一人といえよう。

久保明は36年生まれで、本名は山内康儀といい、男4人兄弟の三男である。小学四年の時に選ばれて、学校演劇「鐘の鳴る丘」に出演し、六年の時には、松竹の映画版「鐘の鳴る丘」(48、49年)にも出演している。中学時代に「朝風に乗って」という教育映画に出演していたが、その時の監督が東宝の丸山誠治であった。
52年15歳の時に、その丸山から呼ばれて「思春期」(52年)という作品に出演することになり、本格的な映画デビューとなった。生徒役は久保の他に、岡田茉莉子、江原達怡、中西みどり(青山京子)らで、教師役が三國連太郎であった。久保は本名での出演であったが、堅苦しい名前なので、田中友幸Pの提案によりこの時の役名である久保明を芸名とした。

この後、大映の「十代の性典」「怒れ三平」(53年)に出演後、東宝に入社している。「続・思春期」(53年)に江原、芸名を変えた青山京子らと再び共演。そして、谷口千吉が監督した「潮騒」(54年)にも青山京子とのコンビで出演し、青春スターとして人気を得た。ちなみに青山京子は後に小林旭と結婚している。

「あすなろ物語」(55年)は黒澤明の助監督をしていた堀川弘通監督のデビュー作で、脚本を黒澤が担当している。本作は一人の主人公を三人(18歳、15歳、12歳)が演じるという珍しいスタイルで、18歳は久保が演じるのだが、「弟はいるか?」と聞かれて紹介したのが七歳下の四男である山内賢晁(のりあき)だった。賢晁は12歳役に抜擢され兄にならって久保賢を名乗っているが、後に山内賢として日活で活躍することになる。久保賢としては、「姿なき目撃者」(55年)の方が一週間だけ早く公開されており、こちらがデビュー作とする資料もある。ちなみに、間の15歳役には似ているという理由で鹿島信哉が抜擢された。
久保兄弟の共演というのは、他にもあり、丸山が監督した「二人だけの橋」(57年)や成瀬巳喜男の「コタンの口笛」(59年)等でも共演している。まあ、弟が日活へ行き山内賢となってからは、共演することもほぼなくなるのだが。
久保明の50年代は「雪国」や「青い山脈」(いずれも57年)など主に文芸作品を中心に出演しており、娯楽作品は少ないのが特徴的である。黒澤作品には二本だけ出演しているが、「蜘蛛巣城」(57年)も原作は「マクベス」だし、文芸作といえよう。久保は「蜘蛛巣城」では、演技面などで黒澤に何も言われなかったというが、乗馬には苦労したという。後で聞くと、割合大人しい馬をまわしてくれたとのこと。大スターである三船敏郎が、遅刻はしない、現場に台本は持ち込まない、付き人はつけないの「三ない主義」であったため、後輩のスターは右へ倣えするしかなかったという。

久保は「若い獣」(58年)で、主役のボクサーを演じたが、本作の監督は作家の石原慎太郎であった。現在では素人監督というのは珍しくないが、当時は下積みの助監督たちの間では問題になったという。助監督を一人、監督に昇進させることで騒ぎは収まったというが、これで昇進したのが岡本喜八であった。結局、「若い獣」は連合映画という撮影所でフリーのスタッフを集めて撮影されたという。

文芸路線中心だった久保も、この辺りから娯楽作品への出演が増えてくる。「大学の人気者」(58年)「大学のお姐ちゃん」「大学の28人衆」(59年)「大学の山賊たち」(60年)といった大学シリーズ?に出演。「大学の山賊たち」は男五人組、女五人組のスキー部員にギャングを絡ませた青春映画だが、男五人のリーダーを演じたのが山崎努でこれが映画デビュー作である。デビュー作のように言われることもある「天国と地獄」(63年)は8本目の出演作だ。岡本喜八が監督だが、久保は岡本作品には「独立愚連隊西へ」(60年)や「日本のいちばん長い日」(67年)にも出演することになる。

そして意外なことに、「妖星ゴラス」(62年)で初めて東宝SF特撮作品に出演している。出ると決まったときは、それまで文芸作品が多かったこともあり、実は多少抵抗もあったという。

続く「マタンゴ」(63年)では主演に抜擢。出演者は実質七人だけだが、ただ一人生還し強い印象を残した。土屋嘉男も語っていたとおり、こうした東宝SF特撮は世界各国で繰り返し上映(放送)されているらしいので、世界中にファンが存在するという。
04年にサンフランシスコでSF映画のフェスティバルが開かれ、久保も小泉博らと招待されたという。街を歩くだけで、こうしたファンが久保たちを見て、驚いたり喜んだりしていたという。フェスティバルは大きな会場が満員になり、その最終日にはスタンディングオベーションまで起ったという。今だに世界各国からファンレターをもらったりするし、出演することができて本当に良かったと語っている。
この後、ゴジラ映画などにも数本出演するが、70年代に入ると東宝演劇部に移り、舞台活動を中心とするようになったため、映画にはほとんど出演することがなくなっている。テレビドラマにもゲストで顔を出すことはあるのだが、個人的にはあまりこの人をドラマで見かけた記憶がない。映画では悪役を演じることはほとんどなかったが、テレビでは悪役も多かったようだ。実弟の山内賢がレギュラー出演していた「男!あばれはっちゃく」に顔をだしたことがあるようだ。