私の好きな映画

tetsu8
2025/10/12 17:39

東宝俳優録12 夏木陽介

瀬木俊一、佐藤允と来たら、夏木陽介ということになろうか。

夏木陽介は36年八王子生まれで、本名は阿久沢有(たもつ)という。54年に明治大学経済学部に入学。画家の中原淳一が発行する雑誌「ジュニアそれいゆ」のモデルにスカウトされたことがきっかけで、58年の大学卒業と共に東宝に入社する。明大といえば、高倉健、山本麟一、今井健二、大村文武など東映ニューフェイス御用達のようなところだが、夏木は何故か東宝だ。夏木陽介という芸名も中原の命名である。

 

映画デビューは「美女と液体人間」(58年)で、アベックの役(相手は家田佳子)である。同年の「密告者は誰か」で、は早くも主演に抜擢されている。「青春を賭けろ」(59年)でも主演だが、坂本九、山下敬二郎、ミッキー・カーチス、井上ひろし、スパイダース加入前の釜范ひろし等、当時の人気歌手が大勢出演している映画である。デビュー当初はこういったハイティ-ンものが多かったが、次第に「青い夜霧の挑戦状」「断崖の決闘」(61年)といったアクションものが増えていった。
 

そして、前項でも書いたとおり、「紅の空」「どぶ鼠作戦」(62年)といった佐藤允、加山雄三とのトリオでの出演作も作られた。佐藤によると加山と夏木は仲が悪かったという。
このように主演作も多かった夏木だが、加山の「若大将シリーズ」や佐藤の「独立愚連隊」のような代表作といえるような作品はなかった。

64年頃から俳優業への情熱が冷めていき、ビジネスに関心を向けていた時、親しかった助監督の松森健がテレビドラマで監督に昇格することになり、出演を引き受けたのが「青春とはなんだ」(65年)であった。ドラマは大ヒットし、東宝の青春ドラマはシリーズ化されていった。夏木もこれを機にテレビ中心の活動にシフトしていった。

 

竜雷太との青春教師コンビが刑事に転身と話題になった「東京バイパス指令」(68~70年)や明智小五郎を演じたNHKドラマ「明智探偵事務所」が印象に深い。

明智探偵事務所」に関しては、本放送を1度見たきりだが、こちらはVTR撮影だったためテープは使い回しで上書きされ、二度と見ることはできなさそうである。OP曲は何故かしっかり覚えているが、中身は全然記憶にない。自分は当時子供ながらも、面白かったという印象はある。しかし夏木によれば、本作についていい思い出はないようで、大阪制作なので通うのが大変だったことや、スタッフに不満があったことを述べている。1年の予定が半年で終了したのは夏木自身が降板を申し出たことも原因だという。

73年、夏木は東宝の先輩であった三船敏郎に「俳優が必要なんだ」と誘われ、竜雷太とともに三船プロダクションに移っている。そこで制作されたのが「荒野の用心棒」(73年)であった。主演は夏木と竜に加えて、渡哲也という異色の組み合わせであった。

そして「Gメン75」に出演するが、これはプロデューサーの近藤照男に「力を貸してほしい」と直に頼まれたものであったようだ。夏木は承諾したが、出演は三回に一回くらいにしたいと要望したため、警視庁サイドのGメンという特別なポジションに落ち着いた。夏木は映画、ドラマを通じてこれが初の東映作品出演だったが、メンバーに東宝の同僚であった藤木悠がいたため入りやすかったという。

映画の世界では黒澤明に代表されるように監督が「天皇」と呼ばれることがあったが、この「Gメン」においては前述の近藤Pがまさに「天皇」状態であったといえる。一部界隈で有名な「ネクタイ事件」は降板した原田大二郎の後任として選ばれた横光克彦が、OPのタイトルバック撮影の際、用意されていたネクタイをしてなかったことに近藤が激怒し、追い返してしまったのである。しばらく、原田の後任がなく六人体制だったのはこういう事情による。その後、横光は同じ東映制作の「特捜最前線」で紅林刑事役に抜擢され、Gメンより長い九年の間レギュラーを務めたので、結果としては良かったのかもしれない。夏木も結局は近藤と食事の代金を払う払わないで口論となり、自分から降板を決めたという。近藤は降板エピソードを作ろうとしたが、夏木はそれを断り、番組からフェードアウトしたのである。

 

夏木の公式ブログには、16年に東宝映画の同友会が開かれ、宝田明、司葉子、星由里子、菱見百合子、江原達怡、杉葉子などと再会したことが書かれていた。また17年1月には「青春学園同窓会」が開かれ、浜畑賢吉、中村雅俊、そして生徒役だった約100人が参加したという。

しかし夏木はその丁度1年後である18年1月、腎細胞癌のため81歳で亡くなったのである。意外なことに生涯独身であった。

コメントする