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tetsu8
2025/12/06 17:03

東宝俳優録17 牧 れい(宮内恵子)/小林夕岐子

今回も東宝ニュータレント6期生から、まずは牧れい(宮内恵子)である。
牧れいは49年生まれ、高校在学中に東宝ニュータレントに応募して合格し、66年に東宝俳優養成所に入所した。応募したのは、自分ではなく姉だったらしいが、本人も多少その気はあったという。
オーディション当時は歌を習っていたといい、三次審査でマヒナスターズでヒットした「北上夜曲」という渋い選曲で歌唱を披露した。その際に歌詞に感極まって、思わず涙を流してしまったという。そのおかげで合格したのではないかと、本人は思っているようだ。
 

デビュー作はドラマ「天下の青年」(67年)で、レギュラーだったという。本名である宮内恵子名義であった。主演は原田芳雄で、森次浩司、牧と同期であるひし美ゆり子の「ウルトラセブン」コンビもレギュラーとして出演していた。
牧は続く「太陽野郎」(67年)にもレギュラーとして出演していた。この間に「ウルトラセブン」に一度ゲスト出演している。
 

映画の方に目を向けてもさして目立つ役はなく「怪獣総進撃」(68年)では、同期の高橋厚子、佐川亜梨らと一緒にキラアク星人として出演している。ヒロイン役は同期の小林夕岐子であった。
69年には東宝を退社。専属だった期間は3年程度であり、東宝女優だったイメージがほとんどないのはその為であろう。
退社後は本名から牧麗子に改名し「夕焼けは知らない」で歌手デビューしている。芸名は短期間に牧麗子→牧れい子→牧れいと改名して落ち着いている。「まあ、きれい」をもじったというわけではないらしい。

円谷プロの「緊急指令10-4·10-10」(72年)では隊員役に抜擢。東宝の先輩でもある黒沢年男、東映ニューフェイス出身の水木襄、池田駿介という顔ぶれであった。この時はアクションはさほど多くなかったが、「スーパーロボットレッドバロン」(73-74年)でのミニスカパンチラアクションから彼女の人気に火が付いた。彼女自身はアクションに目覚め、自分でも自信を持つようになっていったという。
 

コードナンバー108 7人のリブ」(76年)「ザ・スーパーガール」(79-80年)は、どちらも女性7人組が主役のアクションドラマだが、牧はこの両方にレギュラー出演。どちらもリーダー役は野際陽子であった。
「スーパーガール」の頃になると牧のアクションは最高潮に達しており、JAC出身でも何でもない彼女が2階や3階から平気で飛び降りたりしていたのである。
 

80年代までは、ドラマで良く見かけていた彼女であったが、90年代以降はその姿を見かけることはほとんどなくなったが、引退したというわけではないようだ。インタビュー記事はよく見かけるし、特撮関連のイベントなどに登場することはあるようだ。

同期の小林夕岐子は46年生まれで、本名は由木子と書く。当時、話題になっていたかは不明だが、彼女の父は水島道太郎、母親は宝塚歌劇出身で50年代の松竹映画にも出演していた山鳩くるみという中々のサラブレットだったのである。
 

元々のきっかけは、高校在学中に岡田茉莉子の結婚式で東宝撮影所長の雨宮恒之に声をかけられたことであった。女優への誘いだったわけだが、当面は学業優先で断っていた。しかし、受験に失敗したことから東宝俳優養成所に入所することにしたである。オーディションは6次審査まであったというが、彼女の場合は審査なしでの合格だったという。これは、親の七光りというわけではなく、雨宮撮影所長の推薦だったからである。
無論、入所後は優遇されることはなく、レッスン漬けの日々を送り、半年後に映画部に配属されたという。
 

デビュー作は「お嫁においで」(66年)でのウェイトレス役で、同期の高橋厚子、ひし美ゆり子(当時・菱見地谷子)も出演していた。
 

テレビドラマにも出演するようになり、そこで「ウルトラセブン」(67年)である。彼女がゲスト出演した第9話では、金髪ロングのウィッグ姿であったが強烈な印象を残した。前回の牧れいも同番組にはゲスト出演しているが、それほど印象にない。実はこの小林の演じた役は元々は牧がやる予定だったのだという。しかし、スケジュールの都合で難しくなり小林になったことを満田監督が明かしている。
その事実を等の小林は最近まで全く知らず、それどころか小林をイメージしていた役みたいなことを言われていたらしい。

怪獣総進撃」(68年)では、初のヒロイン役に抜擢。「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ決戦! 南海の大怪獣」(70年)では、高橋と共にメインヒロインを演じた。
 

幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形」(70年)では、死美人で吸血鬼という主役ともいえる役柄に挑んでいる。こういった現実離れした役の方が楽しかったと語っている。これもロングヘアーのウィッグを付けていた。
 

この後、74年まで主にテレビの方で活躍した。昼メロ「花王愛の劇場 五番町夕霧楼」(74年)では、詳細は不明だがレギュラーだったようだ。この74年に病気を機に女優を引退している。

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