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LOQ
2025/08/27 23:15

黒澤明  戦争世代としての負い目

 黒澤明の作風を見ると、文芸作品もあるが、サムライもの、刑事ものといった男性活劇がやはりイメージされます。  

しかし戦中撮った『 一番美しく 』が銃後を、戦後の『 酔いどれ天使 』『 野良犬 』『 静かなる決闘 』などが復員兵を描くものの、戦争や軍隊を直接描いてはいない。  

兵隊が出てくるのは『 夢 』での 死んでも死にきれない亡霊 としてだけ。

              

  

               一番美しくの画像・ジャケット写真

 脚本ではいくつかあります。

『 翼の凱歌 』( 1942 監督・山本薩夫 )『 暁の脱走 』( 1950 監督・谷口千吉)『 敵中横断三百里 』( 1955 監督・森一生 )など。

日米合作の『 トラ トラ トラ ! 』も、監督を降板させられましたが、脚本の準備稿を書き、完成作の骨子となっています。

               トラ・トラ・トラ!の画像・ジャケット写真

 

          

 

 また東宝は『 日本のいちばん長い日 』『 日本海大海戦 』や『 太平洋奇跡の作戦 キスカ 』など、多くの戦記ものを製作しているが、三船敏郎が出演してる一方、黒澤は監督していない。

               日本のいちばん長い日の画像・ジャケット写真

         

          

 

 

他の昭和の戦争世代の監督は戦争や軍隊を題材に撮っている。

木下恵介『 陸軍 』今井正『 ひめゆりの塔 』小林正樹『 人間の条件 』市川崑『 ビルマの竪琴 』『 野火 』山本薩夫『 戦争と人間 』岡本喜八『 血と砂 』『 肉弾 』他、本多猪四郎『 太平洋の鷲 』、松林宗恵『 人間魚雷回天 』など、。

 

これらの監督、他にも小津安二郎や新藤兼人らはいずれも召集され、あるいは戦地に送られている。

俳優もたとえば池部良は満州から南方まで5年間、三船敏郎は特攻隊員を送り出す世話係だったし、加東大介は南方に出征した手記「 南の島に雪が降る 」がベストセラーとなり映画化もされた。

西村晃は特攻隊の生き残り。 三國連太郎も中国へ出征している。

民間でも芦田伸介や女優も小暮実千代、山口淑子(李香蘭)らは、終戦後必死の思いで中国から引き揚げてきた。

 

では黒澤明はというと、出征したことも召集されたこともない。

実家は山形県の旧士族の家で、父親は黒澤明が生まれる前には陸軍戸山学校で軍人養成の教官をしていました。

だが思春期は大正デモクラシーの時代、また父親に反抗的だった4つ上の兄・丙午の影響もあってか、中学時代軍事教練の指導軍人に反抗し、ただ一人士官候補資格に不合格となった。

 

卒業後は画家を志し、プロレタリア美術同盟に参加。

当時は非合法活動だった無産者新聞の配布を行い、帝国主義戦争反対のビラを配ったりしていたから、思想的にもにらまれ、召集されれば一番下っ端でしごかれることになっていたはず。

  

 だが20歳徴兵検査を受けますが、担当司令官が父親の元教え子。

簡単な質問を受けたのち「 君は虚弱のようだ。 国に奉仕することは軍人でなくてもできる 」と言われ、丙種判定で兵役免除された。

淀川長治も兵役免除されているが、小柄できゃしゃだったので、徴兵面接官に逆に心配されたほど。

  

 黒澤は185センチ75キロで、剣道や草野球もたしなむ運動神経もあり、明らかに情実によるもの。  世界恐慌が起こったとは言え、まだ世相がまだ平和だったころ。

翌年の満州事変以降、急速に軍国主義に変わり閉塞感が広がっていきます。

 

ストライキを主導などしていた兄丙午の自殺などもありました。

二・二六事件直後の1936年春、26歳でPCL(のちの東宝)に入社、助監督となります。

戦争末期になって簡閲点呼        ( 予備役が受ける簡単な訓練 )に呼び出されたが、経験のある助監督らに事前に要領を習い、無事にこなせたが、参加者は自分以外心身に何らかの支障があって兵役に就けない者ばかりで目だったらしい。

結局、最後まで召集も出征もなかったし、小津や内田吐夢らのように外地で映画製作することものなかった。 

 

 

ここまでは「 蝦蟇の油 自伝のようなもの 」などで以前から知っていたことですが、「 黒澤明の十字架 」( 現代企画室 )で著者の指田文夫氏はさらに掘り下げて、父親のコネだけではないと推測しています。

 

PCL(のちの東宝)は『 ハワイマレー沖海戦 』などの戦意高揚作品だけでなく、訓練・教育映像製作で軍部とつながりがあった。

召集された山中貞雄が戦病死した件もあって、今後のエースと嘱望される黒澤が召集されないよう、森岩雄ら経営陣が軍部に働きかけたのでは、との説。  

戦時中少年から中年までの男性の8割が召集、出征した、とも言われるなかで、自分はされなかった・・・・その負い目が作品に重く投影されている。  

そうですね。 そう感じますね。

 

『 夢 』のさまよえる兵士の亡霊のエピソード。

黒澤明は「 自分は軍隊を知らないし、わからない 」とこのシークエンス演出せず、助監督当時からの仲間で親友の本多猪四郎に委ねたと伝えられる。

本多は3回計8年も兵役に就き、その間黒澤は残された家族を気遣い、フォローしていた、と言われています。

              夢 -DREAMS-の画像・ジャケット写真

 

 

          

 

 

 

 

 

 

 

 

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