『 借りぐらしのアリエッティ 』と『 となりのトトロ 』
( 配慮してるつもりですが、作品に詳細に触れるのであなたにとってネタばれかもしれないし、敬称略です。)
ネットなどで21世紀生まれの若い世代のジブリ離れが進んでいると知って、少しショックでした。
レンタルビデオが衰退し、ネット配信でジブリはサブスクをしておらず、テレビで金曜ロードショーで観るくらい。
劇場公開となると2023年『 君たちはどう生きるか 』、現在『 もののけ姫 』がリバイバル公開されているものの、封切り時に観た作品で一番多いのが『 借りぐらしのアリエッティ 』らしい。
『 借りぐらしのアリエッティ 』
監督は米林宏昌だが、企画・脚本は宮崎駿。

レビュー広場でロキュータス名義で書きました通り、同作は宮崎駿の『 となりのトトロ 』自己批評と僕は考えています。
それによって現今のアニメ状況に対する所感、「 国民的アニメ 」とか「 世界の宮崎 」とかにされるけど、自分はとんがっていて丸く収まらないぞ、と主張しているかのように
思います
改めて『 となりのトトロ 』( 以下『トトロ』)と『 借りぐらしのアリエッティ 』( 以下『 アリエッティ』) を比較していくと、両作品が実に対照的であることが、よくわかります。

『 トトロ 』は、人間がファンタジーに出会う物語。
ニ階の暗闇がちょっと怖くて、元気づけにサツキと大声を出しながら上がって行き、まっくろくろすけに出会うメイでした。
『 アリエッティ』は、ファンタジーが人間に出会う物語。
「怖がらなくてもいいよ」というのは、人間の翔の方でした。
人間に見つかったら出ていかなくてはならないのは同じ。
「忘れ物を届けに来ました」とは糸井重里による『 トトロ 』の有名なコピー。
本作で、「わすれもの」を届けに来るのは、人間の翔の方でした。
「歩こう 歩こう 私は元気 」のメイに対して、心臓( これはハート=心という比喩でしょう )の手術を控え、出歩かないように言われている少年、この設定の違いはなぜなのでしょうか。
そしてこの少年の名が宮崎駿の代名詞「 翔 」というのは皮肉なネーミング。
小人のアリエッティには庭を横切るのも一苦労。
歩く病身の翔につかまって行く方が早い
「トトロに会っちゃったー」と屈託なく父親に打ち明けるサツキとメイ。
本作で、「小人を見ましたか」と尋ねられて、心を閉ざして「見ていない」とウソをつく翔。
同じ12歳という設定なのに、サツキと翔のこの違いは何なのでしょうか。
宮崎アニメのヒロインと言えば、空を飛び、解放感にあふれています。
本作のアリエッティは空を飛びません、飛べません。
それどころか、カラスは翔に姿を見せようとするアリエッティに襲いかかります。
『 魔女の宅急便 』のキキもカラスたちに追い立てられたことはありますが、その比ではありません。
空は、鳥たちは彼女のものではないのです。
また猫バス、『 猫の恩返し 』などジブリ・ファンタジーの象徴の一つとも言える猫も、アリエッティに襲いかかろうとする敵なのです。
みなさんが、謎の存在とおっしゃる、お手伝いのハルさん。
「5月は季節で言うと春だわなー」と、サツキとメイのなれの果てなどとというつもりはありません。
しかし、翔のおばあさんの妹である貞子もハルさんもサツキとメイたちと同世代であるのは間違いなく、子どもの頃は小人を観たのです。
ぼくが驚いたシーンというのは、小人の住みかを見つけ、ホミリーを見下ろすハルさんの顔。
めがねをかけたその顔は容貌が変わり、他ならぬ宮崎駿にそっくりに見えたのですが、それは僕だけでしょうか。
『 トトロ 』では母親が入院中のサツキとメイが父親とともに田舎に引っ越してきます。村の人はみんな親切で学校でもイジメに合わず、自然もそこに棲むトトロもネコバスも彼女たちをそっと見守ります。 『 となりのトトロ 』は全能感、解放感の映画です。
アリエッティはマルムシと戯れ( 王蟲やん )同じくらいの大きさのバッタのいる世界はまるで腐海で、ネズミと遭遇したら命にかかわります。
マチ針を剣に見立てて腰に下げますが、族長の娘ナウシカのような力強さはありません。
翔に「 君たちは絶滅する種族だね。 」と冷たく言われます。
『 アリエッティ』は無力感・閉塞感のただよう世界をファンタジーが生きていこうとする物語です。
宮崎駿は「今はファンタジーを作る時期ではない。(ファンタジー)があまりに多く作られ過ぎて、ゲーム化している。だから我々がゲームを作ることはなかろうと。」と発言しました。
若いアニメーターが既存のアニメのオマージュやパロディを安易にしていると苦言を述べたこともあったようです。
『 トトロ 』は昭和の終戦直後の話。
まだテレビや漫画雑誌、プラモデルやゲーム機もない時期。
子どもたちは自然の中で遊び、動かないおもちゃや手づくりの材料を使って遊んでいました。 モノのなさを想像力で満たしていたのです。 それが「 借りぐらし 」でしょう。
現代は映像やゲーム、おもちゃにしろよくできた商品で遊ぶ。
ドールハウスが象徴してますが、よくできた商品をお金で買ったファンタジーは想像力を衰退させ、人間から心の豊かさを奪ってしまうのではないか・・・・
世界中にファンを持つ国民的アニメ作家による重い問いかけ。
米林宏昌、宮崎駿。 お二人は何もおっしゃってませんが、
みなさんはどう思われるでしょうか。
