『オッペンハイマー』の日本公開を待ちながら その1
『オッペンハイマー』が7月21日全米公開された。
監督はクリストファー・ノーラン 主演はキリアン・マーフィ。
ネット情報によると評価は高く興行成績も良好とのこと。
次のアカデミー賞では少なくとも作品賞ノミネートは確実ではないでしょうか。
日本の配給会社は東宝東和のようですが、日本での公開時期は投稿時現在未定。
ですので、核兵器・核戦争についてとそれを描いた映画について、あらためておさらいし学びなおしながら、日本公開の日を待ちたいと思います。
『オッペンハイマー』の日本公開を待ちながら その1
あらためて初歩的なことから。
第二次世界大戦時のアメリカの原爆開発プロジェクトがマンハッタン計画。
その科学開発部門のプロジェクト・リーダーだった物理学者がロバート・オッペンハイマー。
開発は成功し、2発の原爆が実戦使用されましたが、広島がウラン型 長崎がプルトニウム型で、2発はタイプが異なります。
ちなみに1945年7月16日に行われた史上初の核実験トリニティ実験で使われたのはプルトニウム型で、破壊力はウラン型の約1.5倍。
広島、長崎とも事前の空襲は控え、違うタイプを使用する点を考えると、実戦での実用実験と感じます。
1045年8月6日 広島 8月9日 長崎 8月15日 無条件降伏という時系列から、8月8日のソ連参戦は原爆投下を見てあわててしたように思いがちですが、少し違います。
2月のヤルタ会談でドイツ降伏( 5月8日 )から3か月でのソ連の対日参戦が取り決められ、それを促すため米英が南樺太・千島の帰属、満鉄や旅順口の租借などの利権を認めることが密約された。
ソ連の対日参戦が先に決まっていてのアメリカの原爆投下。
ソ連( ロシア )に批判的な歴史解釈をすると、第二次世界大戦は独ソ不可侵条約の密約に始まり、ヤルタ会談の密約に終わった、と言えます。
8月9日の2発目の原爆の第一目標は小倉でした。
小倉市上空視界が悪く( 8月8日の隣町・八幡空襲の残煙とも八幡製作所職員が張った煙幕とも言われますが )、45分ねばって上空を3回周回しますが、目標を確認できず、第二の目標だった長崎に投下したものでした。
さてまずご紹介する作品は『 アトミック・カフェ 』( 1982 )
監督 ケヴィン・ラファティ、ジェーン・ローダー、ピアース・ラファティ。
1940年代から50年代のアメリカ政府制作の広報映像やニュース映像を編集・再構成することによって、そのポップで軽薄なプロパガンダをわらうドキュメンタリー。
マイケル・ムーアが影響を受けたという古典的作品です。
『 アトミック・カフェ 』のレンタルは こちら