懐かしき1960年代の映画「日本編」
1960年代のアメリカ映画には、アメリカン・ニューシネマといった新勢力があった。
同じくフランス映画には、ヌーヴェル・バーグという新たなムーヴメントが起っていた。
果たして日本映画はどうだったのか。
保守的な映画の伝統を打ち破る...その点では、大島渚監督や篠田正浩監督、或いは今村昌平監督といった当時の若手監督たちが新風を巻き起こした。
更に、テレビの普及率が上昇したことで、従来のメッセージ性の強い作品から、娯楽性の強い作品や庶民の生活を描いた作品が増えていったのである。
以下、60年代を代表する邦画を挙げてみたい。
「飢餓海峡」(64年・東映) 監督:内田吐夢
1954年に実際に起きた青函連絡船転覆事故に基づき、水上勉が書いた小説を映画化。
戦後の荒んだ人間の心理が見事に表現され、三国連太郎、左幸子、伴淳三郎の演技が素晴らしい。
時代劇で名を馳せた内田吐夢監督には珍しい現代劇だが、骨太な演出が光った。
「にっぽん昆虫記」(63年・日活) 監督:今村昌平
戦後の混乱期に、男を食い物にしてのし上がっていく女の姿を、さながら繁殖力の強い昆虫になぞらえて描いた問題作。60年代の今村監督作品では「豚と軍艦」(61年)と双璧を成す。
左幸子、吉村実子、北村和夫らの熱演は強烈なインパクトがあった。
「用心棒」(61年・東宝) 監督:黒澤明
黒沢明監督20本目の作品。殺陣のすさまじさに加えてユーモラスな面も感じられる痛快時代劇。
ある宿場町で対立する親分2人を、凄腕の浪人が知恵を効かせて倒すというストーリー。
三船敏郎演じる桑畑三十郎と、仲代達矢演じる卯之助の緊迫感ある対決シーンも見もの。
「キューポラのある街」(62年・日活) 監督:浦山桐郎
キューポラとは鋳物を溶かす溶鉄路のこと。埼玉県・川口市を舞台に、貧しいながらも健気に明るく生きる少女の日常を描いている。吉永小百合の出世作であり、本作で清純な少女を演じたことで、以後、彼女は今日まで清純派のイメージを保っているのかも。
「男はつらいよ」(69年・松竹) 監督:山田洋次
国民的スター ‘フーテンの寅さん’ シリーズの記念すべき第1作。
渥美清演じる、車寅次郎は葛飾柴又出身。テキヤをしながら日本各地を彷徨い、恋をし、失恋する。
そして又、旅に出る。このパターンは第1作から毎回繰り返されるが、人情家で世話焼きの寅さんのキャラクターが大衆に受け入れられた。寅の妹さくらを演じた倍賞千恵子の好演も特筆もの。
因みに、第1作のマドンナ役は光本幸子だった。
「東京オリンピック」(65年・東宝) 監督:市川昆
1964年10月10日から15日間開催された東京オリンピックの記録映画。
印象に残る選手たちの競技シーンは勿論のこと、競技前後の選手の表情や、敗者の姿も捉えている。
市川監督の思いは ‘記録映画というよりも芸術映画だ’ として後世に語られている。
個人的には、開会式の行進曲として採用された「オリンピック・マーチ」(古関裕而作曲)が大好きで、今も曲を聴きながら、当時の入場行進のシーンをユーチューブで楽しんでいる。
上述以外の60年代を代表する邦画では、「黒部の太陽」(68年)、「天国と地獄」(63年)、「ゼロの焦点」(61年)、「神々の深き欲望」(68年)、「悪い奴ほどよく眠る」(60年)などが思い浮かぶ。
本音を言えば、高倉健の「網走番外地」や、東映のやくざ路線も加えたかったのだけど...。