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tetsu8
2025/12/20 11:40

東宝俳優録18 成川哲夫

今回は東宝ニュータレント8期生から成川哲夫である。
成川哲夫は44年生まれ。成川といえば「スペクトルマン」である。20年ほど前に「ピープロ70S’ヒーロー列伝 スペクトルマン」という本が出ており、著者はその成川である。
 

成川の出身中学は砧中学、砧といえば東宝の撮影所がある場所だが、その関係で同級生の親兄弟が撮影所関係の仕事をしている人が多かったという。成川も高校の頃にエキストラのアルバイトをやったりしていたようだ。ちなみに高校は法政二高で、一年上に柴田勲がおり甲子園で大活躍した。
成川は法政大学に進んだが、三年の時に留年してしまったのである。そんな時に東映の演技研究所が出来たことを知り、大学と並行して通い始めたのである。ここで芝居の道に進むことを決意し、大学は中退してしまうのである。つまり、留年したことが彼の人生を変えたといえる。
 

そんな、東映の演技研究所時代にテレビ出演もしており、その一本が「悪魔くん」(67年)であった。「呪いの森の魔女」の回で冒頭で殺されてしまう役である。その67年に成川は東宝ニュータレントに応募している。彼の著書では、やはりニュータレントではなく、ニューフェイスという表現を使っている。結局、東宝では最後の募集となってしまうのだが、2万人もの応募者がいたらしい。審査委員長は藤本真澄で、審査員には夏木陽介がいたという。藤本は「東宝ではあの石原裕次郎を落としたりしているので、落ちてもがっかりすることはない」というような挨拶をしていたらしい。

審査を着々と突破していった成川だったが、特技に「ギターの弾き語り」という大嘘を書いており、ピアノと伴奏者が用意されていたため、歌う羽目になったという。キー合わせから全然うまくいかず「しまったなあ」と思ったそうだが、何故か受けはよく、見事に合格したのであった。
 

合格した13人は、67年10月から68年3月までの半年間、東宝の養成所に通ったが、期間中に1名が交通事故で亡くなったという。同期には梅田智子、徳永礼子、そして後に成川の妻となる関口昭子らがいた。研修を終えると、映画、テレビ、舞台のいずれかに配属されるのだが、成川は舞台部に配属されている。
 

舞台を数本終えた後に、テレビ部からの要請で「東京バイパス指令」(68~70年)への出演が決まった。主演は夏木陽介、竜雷太の青春先生コンビで成川は新人刑事役で1話から半年間の出演であった。成川と入れ替わる形で登場したのが、永井譲滋柴田侊彦であったが、個人的な記憶にあるのは永井、柴田の時であり、成川の姿は見た記憶がない。確か40年くらいお目にかかっていないので、もう一度みたい番組の一つでもある。

成川哲夫は「東京バイパス指令」の後は、舞台の方に戻るのだが、成川は「これからはテレビの時代だ」と思っていたそうである。そんな折69年の半ばころ、「さち子プロ」の小川幸子社長を紹介され、「さち子プロ」の世話になることを決め東宝を退社するのである。結局、養成所時代から数えても成川の東宝在籍は二年に満たない期間だったのである。
当時の「さち子プロ」には、金田龍之介、高田美和、山岡久乃、有島一郎などが所属していたという。いずれにしろ、まもなく東宝は専属俳優制度を廃止してしまうこともあり、成川の選択は吉と出ることになる。
 

以降もテレビ中心の滑動となるため、映画は1本だけ「柔の星」(70年)のみである。一言でいえば、東宝版の「柔道一直線」で、主演も桜木健一で、ライバル役が近藤正臣なのである。でも主人公の名前は違うし、「柔道一直線」ではないのだ。成川は桜木と対戦する高校の柔道部員として出演しており、一度は彼を負かすのだ。決勝戦で再戦し、今度はやられるという目立つ役なのだ。本作は外部発注作品ではあるが、かつて黒澤明作品を担当していた本木荘二郎がプロデューサーとして数年ぶりに東宝に名を連ねたことも話題になった。

打ち込め青春」(71年)という范文雀、石橋正次、中山仁が主演のドラマにレギュラー出演していた成川だったが、70年12月小川社長からとある事務所に行くように指示され尋ねると、そこに待っていたのはフジテレビの別所プロデューサー、ピープロの鷺巣富雄(うしおそうじ)社長、監督の土屋啓之助の三人であった。そう「スペクトルマン(宇宙猿人ゴリ)」主演の話だったのである。
年明けすぐからのオンエアが決まっており、一カ月を切った状況でオーディションをしている余裕もない。実は小川社長はフジテレビの出身であり、知り合いの別所Pからいい人がいないか頼まれ、成川を推薦したのであった。

番組タイトルが「宇宙猿人ゴリ」から「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」に変わったころ成川は結婚している。相手はニュータレント同期の関口昭子である。もちろん、養成所時代から交際しており結婚を急いだのは、彼女のスケジュールの問題があったからだという。関口はレギュラーだった「アテンションプリーズ」が丁度終わったところだったが、次の仕事がきまりそうな状態で、結婚が相当先になりそうだったので、急遽決行したのだという。関口も結婚を理由に東宝を退社する運びとなったのである。東宝側からは、いろいろと慰留の言葉もあったというが、彼女の短い女優生活は終わった。
スペクトルマン」終了後の成川だが、ヒーローとしてのイメージが強くなってしまったせいか逆に仕事が減り、心機一転もあってプロダクションを移籍、芸名も伍代勝也、伍代達弘と変えていた時期がある(74~76年頃)。結局、「さち子プロ」に復帰し、芸名も本名である成川哲夫に戻している。
 

噂の刑事トミーとマツ」(79~82年)では、東刑事役で長期レギュラーを務めたが、82年に師事していた空手の師範が交通事故死。指導者として道場を引き継ぐこととなるが、分裂してしまったため、83年に成道会を発足させる。空手に専念するため芸能界を引退したのである。

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