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tetsu8
2025/09/07 20:30

東宝俳優録8 小泉 博/太刀川寛(洋一)

第3期東宝ニューフェイスには小泉博、岡田茉莉子、山本廉などがおり、今回は小泉博である。


小泉博は26年生まれで、本名は小泉汪と書いてヒロシと読む。八男四女という十二人兄弟の八男だという。昔は子だくさんも多かったようだが、十人超えは中々ないのではないだろうか。芸能界でいえば、萬屋錦之介、中村賀津雄兄弟が実は五男五女の十人兄弟であるとか、坂本九は名前のとおり、第9子であるとかくらいしか知らない。
 

さて小泉博だが、43年に慶応義塾大学に入学し、48年に卒業して、NHKにアナウンサーとして入局した。大分放送局に配属され、休暇で上京した際に、当時は東宝を離れていた藤本真澄の藤本プロで「えり子とともに」のフレッシュマン募集に、軽い気持で応募したところ、合格者の一人となり、51年NHKを退職し、同映画に出演した。
藤本が東宝に復帰することになり、小泉も誘われて第3期東宝ニューフェイスに応募して合格する。そして51年6月に東宝に入社した。入社より映画デビューの方が先だったのである。
アナウンサー出身の役者といえば、やはりNHK出身の野際陽子や長崎放送出身の二谷英明が有名だ。
 

東宝では、まず「青春会議」「ラッキーさん」「東京の恋人」(52年)等にいずれも準主演級の役で売り出した。あまり、時代劇の印象がないが「次郎長三国志」シリーズ(53~54年)では、追分三五郎役で3部から9部まで出演している。
 

人気を呼んだのは、やはり江利チエミ主演の「サザエさん」シリーズ(56~61年)ではないだろうか。ここでは、サザエさんの夫となるマスオさんを交際時代から結婚に至り、新婚、子供誕生(つまりタラちゃん)まで全10作で演じ続けた。改めて調べると、50年代の小泉は年間10本のペースで映画に出演していた。
 

小泉博といえば、東宝特撮に出演しているイメージも強いと思うが、50年代は「ゴジラの逆襲」(55年)に出演している程度である。60年代に入ってから「モスラ」(61年)、「マタンゴ」「海底軍艦」(63年)「三大怪獣地球最大の決戦」(64年)等、立て続けに出演している。ちなみに、佐原健二も「ゴジラの逆襲」以外すべてに出演している。
 

60年代は映画の本数は減り、テレビへの出演が多くなっている。「咲子さんちょっと」(61~63年)、「女の絶唱」(69年)等ドラマはもちろんだが、「おはよう、にっぽん」(66~68年)というワイドショーでは司会も務めている。ちなみに初代司会者はデビュー当時から共演も多かった小林桂樹であった。
司会と言えば、やはり「クイズグランプリ」(70~80年)である。元アナウンサーだけあって、見事な司会ぶりであった。当時は俳優としてのこの人をあまり見たことがなく、普通に司会専門の人と思っていたかもしれない。
今世紀に入ってからも、現役としていくつかのドラマや映画に出演していたが、15年に88歳で亡くなっている。

椿三十郎」では、九人の若侍の一人であり、「マタンゴ」では七人のうちの一人など、小泉博とも共演が多いのが太刀川寛である。
太刀川寛は31年生まれで、本名は太刀川洋一という。51年に俳優座養成所の2期生として入る。同期には小沢昭一、小林昭二、井上昭文、東宝で一緒になる土屋嘉男などがいた。他の同期に比べると太刀川は若く見える(実際年下ではあるが)。
 

52年に初舞台を踏み、同年東映の「泣虫小僧」に本名で映画デビューしている。53年養成所卒業とともに小沢らが結成した劇団新人会に参加した。同年東宝の「青色革命」に監督の市川崑に抜擢され、千田是也の息子役で出演する。ちなみに弟役は江原達怡であった。
翌54年、宝塚映画「若い瞳」などに出演した後、新人会を退き東宝と専属契約した。「潮騒」(54年)、「麦笛」「あすなろ物語」(55年)といった久保明が主演の青春映画に出演。

また、「生きものの記録」(55年)で黒澤映画にも初出演している。黒澤作品にはその後「蜘蛛巣城」(57年)、「用心棒」(61年)、「椿三十郎」(62年)にも出演している。
 

森繁久彌の「社長シリーズ」や加東大介の「大番シリーズ」、柳家金語楼の「おトラさんシリーズ」など幅広く起用され、有能な若手脇役として重用されていたが、58年12月に交通事故を起こし一カ月の重傷を負い、31日付で東宝から解約処分を受けている。
 

約10カ月に及ぶ謹慎生活ののち、舞台で東宝に復帰しており、映画主演も60年1月の「サラリーガール読本 むだ口かげ口減らず口」で再開している。この時、芸名を本名から太刀川寛に改めている。ちなみに「かん」ではなく「ひろし」と読む。関係ないが二本柳寛も「ひろし」である。

 

サラリーマン物の他に、久保明と同じく「妖星ゴラス」(62年)で、SF特撮ものに初出演し、「マタンゴ」(63年)にも出演した。このように数多くの東宝作品に準主演クラスで出演している割には、あまり話題になることがない役者である。
 

太刀川は72年の和田嘉訓監督の「脱出」を最後に東宝を退社。ただし、この近辺に起った浅間山荘事件に内容が似ているということでお蔵入りとなっている。これをきっかけに和田は東宝を退社し、ソニーへ入社した。太刀川は70年代は主にテレビを中心として活動する傍ら、広告会社東京エージェンシーを経営している。出演記録があるのは83年までで、以降は引退状態となっている。

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