死にまつわる映画とドラマの話
先月、家内の母、わたしの義理の母が亡くなった。休みをとって家内と一緒に見舞いに行ったのだが、その一週間後に息を引き取った。もうずいぶん長い間入院していて、一番最初に面会した時にはもう意思疎通はできなかった。慢性呼吸不全で、その原因は多機能萎縮症であり、小脳の萎縮が引き起こす、国指定の難病を患っていた。
物心ついてからの息子たちは、実質的にははじめてのお葬式であり、コロナのせいで、おばあちゃんに会うのは初めてだった。それでいながら、通夜、告別式、骨拾いまで一通り行ったので記憶に残る出来事だっただろう。
この「身近な者の死」の後、わたしたち家族は2つの死にまつわる映画を鑑賞した。
『おくりびと』をまず最初に観て、その後韓国ドラマの『ムーブ・トゥ・ヘブン』を鑑賞した。
『おくりびと』の脚本を手掛けた小川薫堂氏の著作には以前ハマったことがあり、数多く手がけたTV番組のこともよく知っていた。『おくりびと』は2008年公開でその年に観ているので16年前になる。まだ家内の母も存命だった。
滝田洋二郎監督の『おくりびと』の最初の感想は「ベタやなあ」。ベタな展開で、ベタな感動。実に分かりやすい上に、伊丹十三監督の『お葬式』のように、非日常的世界における手順を観客に説明してくれるマニュアル映画のようでもある。
交響楽団でチェロ担当の本木雅弘君が、資金難から楽団が解散となって無職になる。広末涼子の奥さんがいるが、失業したことを告白できない(ここでわたしの最初の「え?なんで言わないの」が発動する)。仕方がなく嘘をつきながら職探しに回り、勘違いで山崎努が経営して、余貴美子が多分経理か総務をやっている葬儀屋に採用される。
ベタな展開通り、最初は慣れずに精神的にも肉体的にもストレスが最大になる。
ベタな演出通り、多少のユーモアを交えて納棺師の業務内容が紹介される。
ベタな時間経過通り、モックンはストレス耐性をつけ、仕事に慣れる。
ベタな場面転換通り、夫婦間の秘密の暴露、生き別れたモックンの父の孤独死と対峙する。
義母の葬儀の話に戻ると、実家に着いた時には納棺は既に済まされ葬儀場で対面したのだが、焼き場で火葬技師の職人技に触れることができた。お骨を並べ、重ね、最後に骨粉を集める仕草、手さばきの、流れるような熟練の技を見せてくれた。60代くらいだろう。山崎努というよりは、江戸屋猫八(三代目)だった。
その次が『ムーブ・トゥ・ヘブン: 私は遺品整理士です』。わたしが全話鑑賞した、世界初の韓国ドラマとなった。
後で知ったのだが『ムーブ・トゥ・ヘブン』は2021年の釜山国際映画祭のアジアコンテンツアワード(第三回)で「ベストクリエイティブ(最優秀作品賞)」、「ベストアクター(最優秀俳優賞)」、「ベストライター(最優秀脚本賞)」の三冠獲得を達成している。物凄い高水準のドラマだった。
父を失った若き主人公ハン・グルは父が経営していた遺品整理業「ムーブ・トゥ・ヘブン社」を引き継ぐ。そして叔父のチョ・サングがグルの後見人に指名される。物語はこの2人の成長ドラマが軸となるが、エピソードそれぞれで、突然の死を迎えた人々の生前の人生が情緒豊かに描かれる。
ハン・グルはアスペルガー症候群という発達障害を抱えており、知的障害や言語障害を伴わないが特定の分野への強いこだわりがある。これが物語の展開の鍵となる。
一方叔父のチョ・サングは自身は闇世界で生き抜いてきたボクサー。ハン・グルの父、つまり兄とは幼い頃に起きた事件によって、大きなわだかまりを抱えている。裏社会のボクサーに身を落としたいきさつと、亡き兄との関係、この問題解決が彼のテーマである。
映画やドラマで発達障害・精神疾患はたびたび描かれている。このあたりはコラムニストKarinさんが紹介されている。現在に相応しいラインナップ。わたしは『僕と世界の方程式』が観てみたい!
おっさんが紹介すると『レインマン』のダスティン・ホフマン(サヴァン症候群)や、『アマデウス』のトム・ハルス(注意欠陥多動性障害)、『バーディ』のマシュー・モディン(獣化妄想)、『レイジング・ケイン』のジョン・リスゴー(解離性同一性障害)とか、、いちいちどれも古いねん。
『ムーブ・トゥ・ヘブン』の良いところは、遺品整理を通じて、その遺品が1つの謎解きにもなっているところ。故人の部屋に残された現金と出金明細からその遺志を推理する(というよりはハン・グルが持ち前の能力で読み取る)エピソード2や、取扱説明書はあるのに、その電化製品が故人の部屋になかったことから真実にたどり着くエピソード4など、とにかくシナリオがよく練られており、優れている。
日本では医療ドラマが人気で、生き死にを扱うとすれば近しいものがあるのだろうけれど、もっと「死」をしっかり見つめ、描き出す物語が生まれてもいいなと思う。そしてどうも重たくなりすぎる傾向があるので、竹中直人や佐藤二朗のようなコメディリリーフ(昭和で言うと三木のり平とか、渥美清、、また古いことを書いてる)を交えて、軽やかにかつじんわりと味わえるドラマを作ってほしい。
死には「一人称の死(自分の死)」「二人称の死(近親者の死」「三人称の死(他人の死)」の区切りがあるという。テレビが連日報道する人の死の大半は「三人称の死」である。
ドラマは「一人称の死」と「二人称の死」を取り上げることが多い。とりわけ愛する者の死はドラマの題材としてこの上ないテーマだ。
『ムーブ・トゥ・ヘブン』は冒頭でハン・グルの父の悲しい死=二人称の死を描く。その後のエピソードでは、叔父チョ・サングの親友との話が描かれるが、基本的に1話ずつハン・グルやチョ・サングとは直接関係のない「三人称の死」を描いている。ドラマ内で再現される死者の生前の物語は観客だけが観ているものであり、ハン・グルやチョ・サングは遺品を整理し、届けるべき人に届けるだけである。この構造もうまくできている。そして最後に音楽も素晴らしかった。
今回は「身近な者の死」がきっかけだったが、韓国ドラマを存分に楽しめたので、次はいきなり『愛の不時着』とか、『梨泰院クラス』とか行ってみようかなと、1ミリほど考えた今日この頃。