東宝俳優録10 若林映子
今回は若林映子である。彼女の名前を初見の人は9分9厘「えいこ」と読むと思うのだが、正解は「あきこ」である。何故「あきこ」なのかというと、夕映えの増すころに生まれたのにちなんで名付けられたということだが、よくわからない。ひょっとすると、彼女の顔を知っている人でも「えいこ」と読むと思っている人も多いかもしれない。

さて、そのアキコさんは39年生まれ。特に女優志望というわけではなかったが、57年の彼女が高校三年の夏休みに東宝が黒澤明の「隠し砦の三悪人」と谷口千吉の「海鳴り」の二作品の主演女優を募集していたのである。友人に誘われ軽い気持ちで応募したところ、最終選考まで残ってしまったのである。「隠し砦」のヒロインは御存知のとおり上原美佐が選ばれたが、彼女も誘いを受け、東宝に入ることになったのである。
ちなみに「海鳴り」の方は未制作に終わっている。時期的にこれは谷口千吉が妻の若山セツ子を一方的に捨て、八千草薫と再婚したことで、干されたからなのかもしれない。
ところで若林映子だが、やはり目立つ存在ではあったようで、作家の小林信彦がデビュー前、出勤途中に毎朝すれ違うエキゾチックな顔だちの女子高生に興味を持ち身元を調べようとした、という今ならちょっと危うい感じのエピソードを書いているらしいが、その女子高生こそ彼女だったわけである。
映画デビューとなったのは「花嫁三重奏」(58年)で、ファッションモデル役であった。監督は本多猪四郎である。そして高校卒業後まもなく公開されたのが「東京の休日」(58年)で、山口淑子(李香蘭)の引退記念作品であり、東宝のオールスターキャストと言った作品だが、こちらもモデルの役だったようだ。山口は若林のような新人にも気さくに接してくれたという。
この後はしばらく東宝演技研究所でレッスンを受けていたというが、その最後の方に「俺にまかせろ」で主演である佐藤允の妹役に抜擢されている。「大学の人気者」「手錠をかけろ」(59年)等に端役で出演していた彼女だったが、突然イタリア映画「レ・オリエンターリ」(59年)に出演している。東洋各国の恋愛模様を描いたオムニバス作品で、日本編は東宝が協力、マリチェリーニ監督に書類審査と面接で気に入られた彼女が選ばれたわけである。マリチェリーニには子供がいなかったので、若林に「養女になってくれ」と申し出たそうである。

イタリア本国でこの作品を見たプロデューサーが、彼女を主演にした映画を作ろうと考えたらしい。タイトルもずばり「Akiko」(61年)である。日本とフランスのハーフという役だったが、ローマに5カ月近く滞在したという。ちなみに日本では未公開である。それが終わると今度は旧西ドイツの「遥かなる熱風」(61年)に出演という日独伊三国同盟状態であった。
これもやはり「レ・オリエンターリ」を見たドイツのプロデューサーが企画したもので、こちらも中国と日本のハーフという設定で、ドイツ人青年と恋に落ちるという話のようだ。こちらも日本では未公開である。
このように日本では、あまり実績もなく無名に近かった彼女だが、海外で人気を得て活躍していたわけである。

海外映画の出演が続いた後は東宝でもメインヒロイン級の役につくようになった。
藤木悠が主演の「ガンバー課長」(61年)では、ヒロインとなる藤木の妹役に抜擢され、高島忠夫とのロマンスを演じる。高島とは「キングコング対ゴジラ」(62年)でも共演している。
この頃は佐藤允の相手役も多く、「野盗風の中を走る」や「紅の空」でその恋人役などを演じた。前者は彼女には珍しい時代劇で、雪村いづみと共に出演している。二人とも時代劇に似つかわしくない顔立ちということで、当時は話題になったという。後者の共演者では天本英世が印象に深いという。天本といえばスペイン通で知られるが、当時も撮影の合間にはスペインやルーマニアの話をしていたらしい。
60年代半ばになると、彼女のイメージでもある特撮映画やアクション映画への出演が多くなる。「宇宙怪獣ドゴラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」(64年)は、どちらも夏木陽介の演じる刑事が主役である。「ドゴラ」は若林と藤山陽子くらいしか女優が出ていないが、若林は悪女役で撃たれて絶命してしまう。「三大怪獣」では、サルノ王女という金星人の末裔でもあるという謎深き女性を演じた。王女のフルネームは「マアス・ドオリナ・サルノ」で、続けて読むと一つのセリフになる。本作は黒澤明の「赤ひげ」の撮影が終わらなかったため、急きょ正月興行用に制作された作品だった。

この頃、若林は三橋達也主演の「国際秘密警察」シリーズの3作品に出演。「鍵の鍵」(65年)では、浜美枝と共にヒロインを演じたが、その二人が揃って本家007のボンドガールとして「007は二度死ぬ」(67年)出演している。

当初、二人の役柄は逆であったが、浜の英語力の問題もあり、若林が公安エージェント、浜が海女の役に落ち着いた。実は浜に関しては更迭を考えていたらしく、共演の丹波哲郎に監督のギルバートが説得を依頼したという。その結果を丹波は「浜がホテルから飛び降りると言っている」と告げたため、二人の役柄を入れ替え、浜のセリフを大幅に減らすことで対処した。若林と浜はプライベートでも仲が良かったといい、数年に一度は会っているという。

この後、若林は東宝を退社しフリーとなっているが、映画は日活の「赤道を駈ける男」(68年)が最後となっており、数本のテレビドラマに出演。「オレとシャム猫」(69年)には、石坂浩二、原田糸子、小山ルミと共に主演の一人としてレギュラー出演した。
70年以降は国内での出演記録はないが、72年にイギリスのドラマに出演しているようだ。
現在は女優業からは身を引いた状態となっているが、東宝映画のオーディオコメンタリーやリバイバル上映のイベントなどに姿を見せることはあるようだ。未確認情報だが、結婚はしていないという。