北野武監督作品「破壊の3部作とは・・」
TAKESHIS’ 平成17年(2005年) 公開
「役者:ビートたけしを壊した作品」
ゴダール病にかかった。(本人談)精神的なアート作品の第1作目
北野監督が対談の時に話す「振りの子理論」を映画化した作品。夢と現実 もう一人の自分がいたら 長年芸能界の身を置く監督の現実逃避的創造から生み出した映像のためわかりにくい。まさにカオス(混沌)。この作品は好きでも嫌いでもない 第三の感覚を持たせる。
監督ばんざい! 平成19年(2007年)公開
「北野武監督のキャリアを破壊する作品。」
「自分の撮りたい映画」がテーマで自らの映画監督の歩みを破壊した。
ストーリーも前半は自虐的なショートフィルム仕立てであるが中には続きが観たくなる作品もあった。ショートながら豪華な演者。高い肉を安いタレで食べてしまうアンバランスを感じた。
タイトルはopus19/31だった。
※opus19/31が今作のタイトルだったが、スタッフから「訳が分からないからやめませんか?」と言われて、監督ばんざいになった。素数はいいのに数学的になりすぎてしまう。
「フェリーニの81/2」(1963年公開)フェリーニ監督の自伝的な映画みたいにものすごいむずかしい映画と思われてこんなのが(監督ばんざいの内容)出てきたら笑うに笑えないだろうし。とインタビューで語っていた。
※opusは作品、19はこれまでの映画製作数(短編含む)31は映画製作の最終的な本数(目標)
アキレスと亀 平成20年 (2008)公開
「破壊の3部作」最終章「 映画自体を破壊した作品」
タイトルの「アキレスと亀」はゼノンのパラドックス(足の速いアキレスが足の遅い亀に永遠に追い越せない数学的な逆説)と芸術の人によって評価が変わる「不確実」さを屁理屈で正当化してしまうことをひっかけた。
その関係性を生涯、芸術という魔物に取り憑かれた「倉持真知寿」を健気に支える妻、幸子を描いたヒューマンドラマ。
この作品を観ると「才能や実力はあるが、いくら努力をしても売れない」ある意味、「残酷な現実」を突きつけられる。芸術以外にも芸能などのエンターテイメントの世界でも同様の事がある。
容姿端麗で演技も歌もうまいが何かしらの縁や運がなく、売れていない埋もれたタレントや芸人はたくさんいる。
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示もちろん三本とも劇場で見てますが、
『TAKESHIS’』は今で言うマルチバースを先駆けてて、シュールな展開で好きですね。