映画館が二本立てだった頃(その3)
さて、二本立てのお話もいよいよ3回目、そして最後になった。時代は80年代後半になる。
これまでは犯罪もの、スパイもの、ドラマなど人間が主要登場人物だったが、ここで、いきなり人外が出てくることになるので、怖いのキライ、グロいのキライという方はご遠慮くださった方がよろしいかと思う。
で、その二本であるが『遊星からの物体X』と『ザ・フライ』である。タイトルを見て、昔のトラウマを刺激された方もいらっしゃると思う。私自身、映画館の暗闇の中で見る化物は結構エグイものであった。
ということで警告はさせていただいたので、映画の紹介を始めたいと思う。まず、『遊星からの物体X』から始めよう。
お馴染み、ジョン・カーペンター監督の代表作と言ってもいいSF映画である。そう、重ねて言う。SF映画である。なんとなく頭の中でホラーの範疇にカテゴライズしている方もいらっしゃるのではないだろうか。まぁ、怖いけどSFなのは間違いない。原作者はSF者なら知らぬ者はいないジョン・W・キャンベルJr、数多のSF作家を育てた名編集者にして自身もいくつかの作品を世に出した。その中でも有名な一遍「影が行く」を映画化した作品である。
といってもDISCASさんの紹介文にもあるように映画化は最初ではない。1951年の『遊星よりの物体X』が最初の映画化作品となる。この映画にも監督が実はクレジットされたクリスチャン・ナイビーではないとか、色々と面白い裏話があるのだけど、それはまた別の話。
冒頭の雪と氷に閉ざされた南極基地の映像から髭が伸び放題のマクレディ(カート・ラッセル)が昼間から酒をかっくらってパソコン相手にチェスしているという、些かだらしないアメリカ基地の日常が映し出されるが、それが基地へ近づく犬とそれを追うヘリコプターにより一転する。それに被さるエンニオ・モリコーネの無機質な音楽が不安感を煽る。
ヘリの搭乗員はサイドドアを開け、地上の犬に向かって銃撃を繰り返す。犬がアメリカ基地に辿り着き、隊員に保護された直後、着陸したヘリから降りてきた乗員は手榴弾で犬を殺そうとして誤ってヘリを爆破してしまう。残った一人も人間がいるのもかまわず犬への銃撃を続けたため、アメリカ隊の隊長ギャリー(ドナルド・モファット)により射殺される。
焼けたヘリの残骸などから彼らがノルウェー隊だと分かり、マクレディが操縦するヘリでノルウェー基地へ調査に出かける。着いてみると基地は廃墟も同然、隊員たちは全員、むごい死に方で亡くなっており、基地の中には何かが入っていたような氷の塊とねじくれて焼け焦げた奇妙な死体が残されていた。マクレディたちは氷と死体、それに何かが記録されていると思しきビデオテープ(時代です。)を持ち帰る。
一方、アメリカ基地では保護した犬が犬舎で異様な姿に変貌して他の犬を襲い始める。隊員が気づいて火炎放射器で焼き殺す。この事件とノルウェー基地から持ち帰った資料から、ノルウェー隊が氷の中から掘り出した”何か”が生き返って隊員を同化していったことが判明する。”何か”はどこともしれない異星から地球に不時着した存在であり他の生物に同化してまったく同じ外見に化けることができるのだ。このまま同化が進み、”何か”が世界に広がれば地球は彼らの世界になってしまう。
というところで、あらすじ紹介は終わり。今まででもしゃべり過ぎのような気がするのだが。とにかく、80年代後半なのでSFXもCGなどない。今なら見せたいものがはっきりしていれば(予算との相談はあれど)CGでいかようにでもなるが、この頃は、見せたいなら、その物を作らなきゃとなる。で、本作ではアニマトロニクスのスタン・ウィンストンとか特殊メイクアップのロブ・ボッティンとかの出番になるのであった。
序盤の犬舎でのスパイダー・ドッグへの変貌。血液テストでの腹が開いて牙がドクターの腕を噛みちぎるシーン。終盤で出現する、これまで同化してきた全ての生物が融合した”何か”などなど。まぁ、グロいグロい。そいつが地下からガバァと出てくるのは本当に怖いですよ。何でも最初、カーペンター監督はコマ撮りアニメで”何か”を表現しようと考えてたらしいのだが、動きにおどろおどろしさが足りなかったみたいで結局、スモールスケールとラージスケールのアニマトロニクス(機械仕掛けでクリーチャーを動かす方法)と特殊メイクで行くことにしたと聞いたことがある。
異性からやってきた怪物が怖いのはもちろんだが、本当に怖いのは閉ざされた空間で誰が人間で誰が怪物か分からない疑心暗鬼で互いに殺し合いかねない状況である。そういう事態に至ってマクレディたちもノルウェー隊に何が起きたのか理解することになる。
であれば、あのラストはシニカルというかリメイク元のあっけらかんとした大団円と対照的だと思う。希望か絶望か分からないまま静かに闇が落ちてくる、いかにもカーペンターらしい幕切れだろう。
さて、暗めのお話のあとは、もっと暗い、何しろデヴィッド・クローネンバーグ監督である。そう、『ザ・フライ』である。
この作品もリメイクである。そちらは『蠅男の恐怖』という邦題でDISCASさんに在庫があるので、ご興味を持たれた方はどうぞ。ついでであるから『遊星よりの物体X』と併せてジャケ写を載せておこう。原題は両方とも同じである。
『ザ・フライ』にも原作がある。ジョルジュ・ランジェランの「蠅」という短編小説で、確か、昔、早川書房から出ていた異色作家短編集の中に入っていたと記憶している。この原作の蠅男の出方は、どちらかというと『蠅男の恐怖』に近い。ただし、その描写を見ると蠅だけでなく実験に使用した猫やら何やら混ざりこんでいて、それこそ『ザ・フライ』よりもエグい。
『ザ・フライ』ではアニマトロニクスと特殊メイクアップ、クリス・ウェイラスの手腕が全力発揮されているので、セス(ジェフ・ゴールドブラム)の身体に異変が起こり始めるきざしの頃から具体的にその異変を描き出す。
皮膚から剛毛が生えてくる。髪の毛が抜け始める。挙句の果ては食物を唾液で溶かしてちゅうちゅう吸い始めるといった蠅の生態が表面化してくる過程を詳細に描写しているのがグロいのが苦手な方には耐えられないと思う。特に人間の身体が変容するので粘液系の表現が生々しいからなおさらであろう。
そうした暗い作品ゆえか、要所々々にユーモアが散りばめられていて息抜きになる。一例を挙げると、セスがいつも同じ服を着ているので、一着しか持たないのかと聞いた恋人ヴェロニカ(ジーナ・ディヴィス)に黙って同じ服ばかり吊るしてあるクローゼットを見せる件がある。
『蠅男の恐怖』が主人公の正体を最後まで隠していたのに対し、『ザ・フライ』が早々に変身の過程を見せる違いはあるが、ラストは主人公が愛する人に残酷な行為を頼むという点が共通している。クローネンバーグは実人生で離婚と子供の親権を争った経験があり、それが作品にも影響を与えているという分析を読んだことがあるが、本作にもその影があり、セスとヴェロニカの愛と嫌悪が交錯する複雑なラストになっているような気がする。そこにある意味、第三者とも言えるヴェロニカの元カレ、ステイシス(ジョン・ゲッツ)が介入することで、悲劇ではあるが、その感情のもつれを解いたエンディングに着地したのではないかと思う。
とまぁ、色々と書いてはきたのだが、やっぱり本作の眼目はセスの変身と心の変化、それによって変貌していく周りの人間の心理であろう。そして、私のような悪趣味な人間にとっては、セスの変貌の過程をつぶさに描いた監督と特殊技術を担当するスタッフへの敬意と、映像の楽しみである。
さて、縷々、書いてきた「映画館が二本立てだった頃」三部もこれで完結となる。最初に書いたとおり懐旧談になった訳だが、取り上げた映画はいずれも大作というものでないところがミソだと自分では思っている。大作はまぁ、見所が多く俳優陣も豪華だけど佳作とでも言うべき、こうした作品も映画好きの心に残るものだと思っているからである。さて、次は何を取り上げようか。こういう調子でのほほんと書いているから、なかなかコラムが上げられないのではあるが。
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投稿を表示こんばんは。
ホラーは苦手なぼくですは『 ザ・フライ 』は好きですね。
せつなくて、胸が熱くなります。
『 スキャナーズ 』『 デッド・ゾーン 』もいいですね。
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