ゴジラの日
皆さん、こんにちは
椿です。
11月3日、皆さん、何の日だかご存知ですよね?
えっ??
「文化の日」??
ちょっと意味わかんないんですけど・・・
違います!あれですよ!!あれっ!!
そう!!我らが怪獣王ガズィィラァ(石原さとみ風に)
失礼!
ゴジラの日ですよね!
昭和29年(1954年)11月3日。この日に日本にとって、いや、世界の映画界にとって最も重要なモンスター映画『ゴジラ』が封切られた年月なのであります。これを記念して、ファンの間ではこの日を「ゴジラの日」と制定して、ゴジラにまつわる様々なイヴェントを開催しています。
そして、今年はおあつらえ向きに3日が金曜日ということもあり、なんとその「ゴジラの日」にファン、いや全世界待望の「日本のゴジラ」の新作が劇場公開されました。
『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』
▲『ゴジラ-1.0』予告編動画
私、公開初日、朝一番で見て参りました。
通常版で鑑賞。→驚嘆!興奮!ゴジ泣き!! こりゃたまらん!!と
IMAX版で2度目鑑賞。→『世界よ。これがゴジラだ』
本当に公開ホヤホヤなのでどんな感想もネタバレになってしまいそうなので、今回は控えます。
一応、押さえておきたいところだけご紹介すると・・・。
・舞台は戦後から数年。戦災からようやく復興の兆しが見えてきた頃の日本。
→戦争で何もなくなってしまった状態から更にゴジラが上陸。0からの復興のはずがゴジラの登場でー1.0(マイナスワン)に・・。
・これまでのゴジラは一切なかったことに
→前作『シン・ゴジラ』同様、これまでのゴジラ映画で登場したゴジラは一切無かったことになっているので、今回が初ゴジラでも問題なく観られます。
・過去作へのリスペクト
→過去ゴジラは一切関係ない、とはいえ、過去ゴジラ作品のオマージュがちりばめられており、お好きな人はニンマリするような、ゴジラへの愛とリスペクトが詰まっています。
そんな感じでしょうか。
そしてもう。これだけは言いたい!!
絶対に見て損はない!!いや、これこそ劇場で楽しむ映画だ!!!
と、声を大にして申し上げたい。
ゴジラは観たことがない、ゴジラに興味ないという方
いや、ほんと、観ないと損。劇場で観ないと損です!
椿に騙されたと思って、是非劇場に足をお運びください。
【ゴジラ映画の世界をたどる】
今回は、これまでゴジラ映画を見たことのない人用に、ゴジラ映画について少しお話してみようと思います。
①『ゴジラ』とは
~製作について~
『ゴジラ』は昭和29年。まだ戦後9年という年に本作は公開。傾きかけていた東宝を救ったといわれるほどの大ヒットを飛ばした作品です。製作の田中友幸は、日本の漁船「第五福竜丸」が、アメリカの水爆実験で被ばくしてしまった事件に着想を得て、被爆した恐竜が日本を襲うという物語を構想。監督に本多猪四郎、特殊技術に円谷英二を得て、タイトルを「G作品」として秘密裏に製作を進めてゆきます。
当時の東宝役員は「子供だましのお化け映画だ」として製作に難色を示していましたが、製作総指揮の森岩雄の熱烈なプッシュにより製作が決定。
ちなみに「ゴジラ」の名前はクジラを食べるのが好きなゴリラのような東宝社員のあだ名「グジラ」から採ったと言われます。
当初アメリカでスタンダードだった怪獣映画はすべて、人形アニメーションで作られていました。円谷もそのつもりでいましたが、とてもスケジュールが間に合わない、ということで、人間が着ぐるみの中に入って、ミニチュアで作った町を破壊していく、という、前代未聞の撮影方法が選択されます。
重量のある着ぐるみでの撮影は事故がつきものでしたが、完成にこぎつけると、人形アニメでは決して表現できなかった重量感と生物感にあふれた怪物としてフィルムに焼き付けられ、観る者の度肝を抜かせるのでした。
昭和29年と言えば、黒澤明の『七人の侍』も公開された年で、黒澤の盟友でもあった本多猪四郎の『ゴジラ』とともに、世界の映画関係者に多大な影響を与え、映画史に君臨する二大作品が生まれた、非常に重要な年となりました。
~ものがたり~
小笠原諸島近海で船の連続行方不明事件が発生。事件現場近くの大戸島では何か巨大な力によって住居が破壊される事件も起きる。事件の調査隊を前に、島の老人は、島に古くから伝わる「ゴジラ」という怪物のせいだ、と訴える。巨大な足跡、その足跡から強烈な放射線が放たれていることを知り調査をしている山根博士率いる調査隊の目の前に、ついにゴジラは姿を現す。
ゴジラが日本本土へ上陸するのを阻止するために海岸線に防衛軍によって防御線が張られるが、上陸したゴジラは、その巨大で驚異的な力、更に放射能を含んだ火炎を吐き、防衛軍を圧倒。東京を蹂躙し復興した町並みをまたしても破壊してしまう。
なすすべ無い深い絶望に覆われる東京。だが、芹沢という学者がオキシジェンデストロイヤーという特殊な爆弾を開発していたが、その恐るべき兵器は使用すると周囲の生物をすべて抹殺できる力を持っており、開発した芹沢自身がそれを利用したことで世界中から目を付けられ、それが軍事利用されることを恐れていたので秘密にしていた。
果たして、世紀の大怪獣 ゴジラを殺し、東京を守ることができるのか・・。
これまで、誰も見たことが無かった「大怪獣ゴジラ」は、戦争の記憶もまだ薄れていない、当時の人々に、戦争で焼け野原に放り出され、死の恐怖を味わったものと同じ恐怖を、このゴジラを見て感じたことと思います。広島・長崎に続きビキニ環礁でも核の犠牲になった記憶も生々しい日本人としたら、放射能をまき散らしながら町を破壊するゴジラは核兵器そのものであるし、ゴジラが上陸して破壊した町の順路は、B29が東京大空襲で破壊していった町の順路を辿っているとも言われる。
焼け野原の東京に取り残され逃げ場を失った母娘。泣きじゃくる娘に「もうすぐお父ちゃんのところに行くんだよ」と言って死を覚悟した母の姿や、ゴジラが去った後の野戦病院のような状況がスクリーンに展開されるのを見て、戦争当時をよぎった観客も多くいたことでしょう。
『ゴジラ』はただの化け物映画などでない、「反戦」「反核」の強いメッセージと、科学力で自然を破壊する人間に対する警告を込めた作品となったのです。
②昭和ゴジラ
大ヒットに気を良くした東宝は、早速続編『ゴジラの逆襲』を発表します。前作でラストに放たれた山根博士の「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。」の言葉とおり、孤島に潜んでいた二代目のゴジラが今度はもう一匹の怪獣アンギラスと闘うというもの。あれだけの労力をかけて作った初の試みである前作から1年しか経過していないのに、更にもう一頭の怪獣を登場させ、戦わせるという「怪獣プロレス」を実現した映画。怪獣同士の対決はやはりヒットしますが、作品の内容的には演出も本多猪四郎が関わらず、前作のシリアス加減からすると、かなり弱い作品となってしまいました
その後、しばらく東宝はゴジラから離れ、『ゴジラ』の主要スタッフである田中友幸、本多猪四郎、円谷英二を中心として、特撮をふんだんに使った怪獣映画(『空の大怪獣ラドン』『モスラ』『大怪獣バラン』等)や宇宙人との対決を描いた映画(『地球防衛軍』)、人間と等身大の化け物との対決を描く映画(『獣人雪男』『美女と液体人間』『ガス人間第一号』等)をどんどん製作して、多彩な物語を生み出し、特撮技術を向上させました。そのどれもが大当たりし、今現在も強い人気を誇っています。
東宝映画30周年記念の1962年。遂に待望のゴジラ映画が登場します。それが『キングコング対ゴジラ』。円谷英二はじめ、映画人が参考にしたアメリカRKOの言わずと知れた『キングコング』の権利を買い、東宝が自社の威信をかけて臨んだ本作は、東宝映画史上最高の興行収入をはたくことになり、まさに30周年記念映画にふさわしい作品となりました。
ゴジラ映画初のカラー映画にしてワイドシネスコープによってつくられた本作はスケールの大きな画面で日米二大怪獣の対決を存分に味わえある内容となりました。
作風は当時はやっていたサラリーマン喜劇のモチーフが持ち込まれ、高島忠夫、藤木悠のサラリーマン映画コンビに、名喜劇役者有島一郎のとんでもない製薬企業の部長、浜美枝、若林映子の美女二人が出演と全体的にコメディタッチで快活なテンポで話が進みます。またゴジラは恐怖の存在ではあるものの、ちょっとでっぷりした体格になり動きもコメディぽくなり、キングコングと合わせて、なんだか「かわいらしい」感じになりました。
しかし、怪獣同士の対決も人間対怪獣の戦いも手数が多く見せ場が豊富なため、そういう意味でも作りこまれた、非常に魅力的な映画となりました。
ちなみに、本作を見た当時の007のプロデューサーが、『007は二度死ぬ』で浜美枝と若林映子をボンドガールに起用したのは有名な話です。
久々のゴジラが記録的な大ヒットとなると、映画会社も観客も次なるゴジラ映画に期待するのは自明の理で、今度はゴジラと、ゴジラ映画以外で東宝映画が作り上げてきた怪獣たちを対決。競演させる路線へと進みます。
次作『モスラ対ゴジラ』では、平和の使者たるモスラと表情も醜悪なゴジラとの対決。ゴジラと対決した怪獣の中で、モスラは唯一ゴジラに勝利した怪獣です。そして『ゴジラ・モスラ・ラドン 三大怪獣地球最大の決戦』で、ゴジラの永遠のライバル怪獣キングギドラが登場。三本の龍の首、巨大な羽、黄金色の鱗で全身を覆ったその神々しい姿。しかも金星をはじめ、数々の星の文明を滅ぼしてきた最強宇宙怪獣。これが地球を襲いに来るという訳ですから、縄張りを荒らされるのは許さねぇ、とばかりに、地球の文明を滅ぼしかねなかったゴジラとラドンが迎え撃つという物語。しかも、仲の悪いゴジラとラドンを、モスラが二頭を説得して戦わせるという・・。本作からゴジラが人間の脅威でなく、人間の味方になります。
次作『怪獣大戦争』次々作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』では、宇宙人やテロ組織といった悪役が登場。悪役に操られた怪獣がゴジラと対決する構図が生まれ、人間はゴジラを恐れなくなり、地球を守ってくれるゴジラに拍手喝采を送ります。また、ゴジラも柔和な表情となり、なんと「おそ松くん」の”シェー”や加山雄三の”僕ぁ、幸せだなぁ~”をゴジラがやってしまうサービスショットまで登場し、ゴジラはみんなのアイドルと変貌を遂げてゆきます。
次作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』ではゴジラの子供、ぶちゃかわいいミニラが登場。怪獣のお作法を教えるなどのほのぼのとしたシーンが出てきたりと、もはや暴君ゴジラのイメージは影も形もなくなります。また、特撮監督も円谷英二が監修にまわり、有川貞昌に変わると、明らかに特撮シーンも見ごたえが劣ってきます。
次作『怪獣総進撃』ではこれまで東宝特撮映画に出てきた怪獣たちを「怪獣ランド」という一つの島に集め、人間がコントロールするという物語で、11大怪獣総出演という怪獣祭り。演出の本多猪四郎、音楽の伊福部昭がゴジラ映画に久々に戻ってきて見ごたえある作品になりました。アメリカゴジラのいわゆるモンスターバースは本作の影響を受けています。
しかし、以降の作品では映画業界自体が斜陽産業となり客足が伸びず、じり貧状態で作品に金をかけられない、テレビ番組『ウルトラマン』『仮面ライダー』をはじめとするヒーロー番組が大量に放送され、毎週毎日、テレビで気軽に怪獣が見られる時代となり、映画館で金を払ってわざわざ怪獣を見に行かなくてもよい時代になってしまいました。
そのため、資金が大幅に削られてしまった特撮シーンでは作りこみが全体に安っぽくなってしまったり、過去作からの流用を多用。上映方式も、子供向けのアニメ映画と併映される形となり、作り手の創作意欲とは裏腹に質が低下。客足も興行するごとに減ってゆくスパイラルに陥り、ゴジラ映画15本目の作品『メカゴジラの逆襲』(1975)をもって、長い休眠時間に入るのです。
しかしながら、このじり貧状態にあっても、「ゴジラをスクリーンから消し去りたくない」という作り手たちの情熱と創作意欲はゴジラ映画隆盛だった時代の怪獣に負けない、いやそれ以上にカッコいいデザインの怪獣たちを創造し(ヘドラ、メガロ、ガイガン、メカゴジラ)、金がないながら迫力ある爆破シーンなどで子供達の度肝を抜かせ、公害問題やサイケ、スパイアクション、シリアス等の要素を物語に取り込み、自然と子供達に怪獣のカッコよさ、あこがれ、社会問題、様々な映画の面白さを植え付けていったのです。
③ ゴジラ復活
その、「ゴジラをスクリーンから消し去りたくない」という熱意は、これまでずっとゴジラ映画に携わってきた作り手たち、ゴジラ隆盛の頃のゴジラに愛着ある大人、そして、その想いのもとで作られた子供向けと言われたゴジラ映画を見て育った子供達に受け継がれ、ゴジラ映画復活の機運が高まります。
そうして1984年、まさに9年の時を経てスクリーンに蘇らせたのが『ゴジラ(GODZILLA)』です。
ゴジラを蘇らせるにあたり、子供向けではない、第1作のような、人類の脅威と恐怖の対象であるゴジラにする、というコンセプトのもと作り上げられたゴジラは、第1作目のみ物語が受け継がれ、2~15作までのゴジラは無かったことになっています。
当時はアメリカとソ連(ロシア)が冷戦の最中で、核問題が大きな政治的課題でした。核実験が産んだゴジラという怪物にとっては、まさにこの時代に必要不可欠であったかもしれません。
第1作から引き継がれたといっても、1作目のゴジラは完全に死亡しているので、別個体のゴジラが現れたことになりますが、人々は54年のゴジラ襲撃の事件を知っており、主要登場人物の学者の家族がそのゴジラ襲撃事件の犠牲者だったりもします。
高層ビルが立ち並ぶ東京。第1作のゴジラは身長50メートル。それではスケールが小さいということで80メートルに変更。それでも高層ビルの方が高いですが、邪魔だ、と言わんばかりにビルを破壊しまくります。精巧なミニチュアがゴジラによって破壊される様に、「われらのゴジラ」を見たファンは歓喜。重厚感あふれる着ぐるみと、表情が豊かに動く「サイボットゴジラ」という機械仕掛けの頭部も採用され、より生物感のあるゴジラが誕生しました。特撮監督は中野昭慶。予算が無かった時代、子供向けと揶揄されながらもゴジラ映画の特撮を担ってきた監督の満を持しての仕事でした。
ちなみに、この映画と同じ年にオープンした「有楽町マリオン」も映画に登場。ものの見事にゴジラの餌食になっています。本作以降、平成ゴジラではオープンしたばかりの名所が戦場となり、(ミニチュアが本当に精巧ですばらしいです)ものの見事に破壊されます。
(初代ゴジラに破壊された松坂屋ビルや和光ビルは激怒しましたが、平成以降破壊された建物は、その時の名所のステイタスとして大歓迎だったといいます)
超兵器をものともしないゴジラは、人間の英知によって伊豆大島三原山の火口におびき寄せられマグマのだまりに落下し滅びます。奇しくも、この2年後1986年に三原山は大噴火を起こし一時全島民非難するといった被害をもたらします。
伊豆大島は本作と、次作でゴジラが三原山から這い出して来ることから、「ゴジラの町」として村おこし。三原山の山中に、ゴジラに似た岩があることから「ゴジラ岩」と命名したり、温泉地の近くにゴジラの肖像を立てたり、「ゴジラカレー」という商品を販売したりと、ゴジラと共存しています。
④平成ゴジラ(VSシリーズ)
84年のゴジラは評価は様々なものの、興行的には成功し、次なるゴジラへつながります。時は平成。新しいゴジラを作るにあたり、プロットを公募。バイオテクノロジーが産んだ植物怪獣の登場という医学的な要素を盛り込んだ歯科医の作品が選ばれて作られたのが『ゴジラVSビオランテ』です。ゴジラ映画では初となる、東宝関係者以外から招聘された監督である大森一樹が監督。特撮監督は川北紘一。以降、平成ゴジラはこの二人が関わって、一本の筋の通った世界観で作品が作られてゆきます。
84年ゴジラが暴れた東京では、ゴジラの驚異的なエネルギーと生命力を秘めたG細胞を得るため、世界中のスパイが暗躍。ゴジラの体から剥がれ落ちた肉片を奪い合います。そのG細胞にバラの細胞を掛け合わせ誕生したのがビオランテ。ゴジラ以上に巨大な体と大蛇のようにうごめくツタを縦横無尽に動かし、ゴジラを圧倒します。このビオランテの操演が素晴らしく、大迫力のバトルが展開。
しかし、本作は怪獣対決以上に人間対ゴジラの対決も刻銘に描いていくことで見ごたえのある作品として成功しています。(対決兵器スーパーX2の乗務員としてブレイク前の鈴木京香が出ています)
本作はゴジラファンの中で非常に人気の高い作品でしたが、当時の興行収入はあまり伸びず、以降、続編が作られる際は怪獣対決がより重視されるようになってきました。
その後、平成ゴジラは5本が作られます。この5本にはビオランテから登場した三枝未希という、ゴジラとコンタクトがとれる超能力少女が出ており、物語の連続性を保っています。平成ゴジラは大森一樹の、いい意味でのハリウッドかぶれな世界観でタイムワープ、ガンアクション、アンドロイド、トレジャーハンター等が出てきてゴジラ以外の面でも楽しめる娯楽作となっています。
平成ゴジラ終話『ゴジラVSデストロイア』では、「ゴジラ、死す」というコピーで、ゴジラ映画一応の結末を示唆していました。ゴジラの体内で核融合が起き、ゴジラ自身が核爆弾と化してる状況の中、第1作ゴジラでゴジラを抹殺した兵器「オキシジェンデストロイヤー」から生まれた怪物デストロイアとゴジラが対決しなければならないのですが、本作のラストはゴジラの終わりをファンに強く印象付けるものとなり、ゴジラを音楽の面から支えてきた伊福部昭の音楽とともに非常に感動的です。伊福部も本作をもってゴジラ作品から手を引きますが、彼の曲はゴジラを表現するモチーフとして、この後のゴジラ映画でたびたび登場します。
⑤ミレニアムゴジラ
98年、『インデペンデンス・デイ』のローレンド・エメリッヒ監督による『GODZILLA』が公開。怪獣映画としては面白いが、これはどうみても「ゴジラ」ではない!と、ハリウッドが作るゴジラへの期待が大きかっただけに世界中のゴジラファンから冷たいまなざしを向けられます。そこで、にわかに日本ゴジラへの待望論が噴出し、翌99年『ゴジラ2000(ミレニアム)』が早速作られます。
ゴジラデザインは非常に鋭角的に突出した背びれ、鋭く裂けた口に、きつい目つきと、狂暴性を強調。またしても、ゴジラ第1作目のみが存在し、それ以降の平成ゴジラに至るまでの世界観は無かったことになっています。
新しいゴジラへの期待は高かったものの、興行的には芳しくなく、以降、ミレニアムゴジラのシリーズは平成ゴジラというシリーズ化を用いず、1本1本にほぼ繋がりをなくし、『ゴジラ×メカゴジラ』『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』以外はそれぞれ独立しています。
ミレニアムシリーズは全体的に興行収入が伸び悩んだものの、それぞれの作家性に富んだ作品群となり、「ゴジラ」という素材で、如何様にも映画を撮ることができることを証明しました。『ゴジラ対メガギラス G消滅作戦』では子供も見る怪獣映画としてはかなり際どいスプラッタ描写を取り入れたり、ゴジラ映画全体の中でもかなり高い完成度と人気の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』では平成ガメラ三部作で大人気の金子修介を監督に迎え、非常にリアルな怪獣造形と、平成ガメラの世界観にも通ずるオカルト色、更に悪の権化ともとれる白目をむきだしてあまり巨大でないために、人間に近い距離で俊敏に動くゴジラがものすごく怖いゴジラとして評判を呼びます。また、ミレニアムシリーズのラストを飾る『ゴジラFINAL WARS』ではハリウッドでも活躍する北村龍平を監督に迎え、これまでのゴジラ作品に登場した大人気怪獣を次から次へと登場させ、ゴジラと激しいバトルを繰り広げさせました。人間同士のドラマにもワイヤーアクションや格闘家のドン・フライをメインキャストに据え、プロレスアクションも取り入れますが、怪獣同士も負けずと怪獣プロレスを展開。かなり破天荒な作品となりました。
⑥『シン・ゴジラ』
2014年、ギャレス・エドワーズ監督を大抜擢して作られたハリウッド版『GODZILLA』が大成功を収めると、FINALしたはずの日本ゴジラをもう一度!という雰囲気が醸成されます。一度終焉を迎えたゴジラがハリウッド作品に刺激され復活、という道筋はミレニアムゴジラと同じで興味深い所。
東宝はかねてよりの構想で抱いていた『ヱヴァンゲリヲン』の庵野秀明を監督に迎えます。当初固辞していた庵野でしたが、東宝側の粘り強い説得に監督を了承。特技監督としてゴジラに様々かかわってきた樋口真嗣と共同で監督(庵野は総監督)。庵野独特の世界観で怪獣映画の枠を飛び越えてリアルなディザスタームービーとなりました。
本作はゴジラ映画史上最上級のヒットを飾ります。観客はその面白さに驚嘆し、一人で何回も劇場に足を運ぶリピーターを多数生み出し、口コミで、これまでゴジラ映画を見たことのない人をまでも虜にしました。また、怪獣映画としては異例の、日本の映画賞各賞を多く受賞。日本アカデミー賞では作品賞ほか10部門で受賞という快挙まで成し遂げます。
本作の特徴として、まず、これまで着ぐるみで撮られていたゴジラを全面CG化。詳細に作り上げられたCGにより違和感なく動き、破壊しまくるゴジラを表現することに成功。
次に本ゴジラで初めて、第1回目の『ゴジラ』の世界とは離れて、人類が初めて遭遇する怪獣として描かれたゴジラ映画であること。初代ゴジラが太平洋戦争及び原爆投下の経験から作られた映画だとすれば、シン・ゴジラは東北地方太平洋沖地震という近年まれにみる大災害を受けて作られた作品であるということがよくわかります。未曽有の大災害を前に、なすすべ無く混乱する政治、社会のパニックをリアルに映画へ反映させたことが人々の記憶に新しい大災害とリンクしその時の自分の体験と映画を重ね合わせて見られたのではないかと思います。
そして、ゴジラが形態変化をする、という全く新しい要素を取り入れたこと。最初に上陸した際は不気味な顔に手が無くうねうねと地上を這いまわる姿に、従来の ゴジラの姿を想像した観客の度肝を抜きます。ちなみに、この姿は第二形態で、「蒲田くん」とあだ名されファンの間で人気者です。
進化は映画上、第五形態まであり完ぺきなゴジラの姿となって東京をにべもなく破壊したのは第四形態。非常に醜悪で、まるで焦げてボロボロになったような体に骸骨を思わせる顔つき。巨体に似合わない黒目だけの瞳と、歯並びの悪い口はまるでホオジロザメのそれのようでもある。そして、体中から放たれるエネルギー光線は方々にどこまでも伸び続け、すべてのものを破壊してしまう。絶望しか感じさせない化け物。第五形態というのは、ラストに登場する尻尾の変化。尻尾の先に人間のような、ミイラのような物体が何体も生じている。これの意味は分かりませんが、観た人がいろいろと探り、考察をしてそれでまた盛り上がりました。
最後にゴジラを倒すのはほかの怪獣でも、超兵器でもない、人間の英知によるものだということ。シンプルなゴジラ攻撃ながら、伊福部昭の過去東宝特撮音楽をそのまま使用し、非常にアガる場面を作り上げました。
⑦そしてマイナス0
『シン・ゴジラ』の登場によって、もはや日本で新しいゴジラを作るのは無謀以外の何物でもないのではないか?多くのゴジラファンがそう思いました。
海の向こうのハリウッドではゴジラがマーベル映画よろしく、「モンスターバース」としてシリーズ化。『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』『ゴジラVSコング』と立て続けに作られ『ゴジラVSコング』の続編も準備中だとか。
特にキングオブモンスターズは日本のゴジラ映画のリスペクトが強く感じられ、ラドン、モスラ、キングギドラが登場。ゴジラと熱い戦いを繰り広げる中に、伊福部昭の音楽をモチーフにした音楽が流れ往年のゴジラファンも大満足な作品となりました。(余談ですが、渡辺謙が演じた芹沢猪四郎は、初代ゴジラの芹沢博士と監督の本多猪四郎の名から採っています。まるで自主映画の登場人物のようなひどい名前に好感が持てます(笑))
しかし、どちらかというと人間の味方的立ち位置のゴジラであり、CGで縦横無尽に動くそれは、人間のキャプチャーにより作り上げられたモノが想像されてしまい、少なからず違和感を禁じ得ないものでした。そしてこのゴジラがシリーズ化され、アメコミのような扱いになってしまうのではないかという危惧もから、日本製ゴジラ復活を願うゴジラファンの声が高まります。
そんな折、山崎貴監督による新作怪獣映画の製作が発表されました。その怪獣はゴジラなのか、それとも別の怪獣なのか?ファンの期待を煽るように秘密にされていましたが、それがゴジラだと分かると期待と不安の声が相乱れ飛びます。
しかし、だんだんと全貌が明らかにされ、舞台が初代ゴジラよりも前の、戦争終結して数年後であること、Youtubeで解禁された予告編が絶望しか考えられないような恐るべきゴジラが登場するのを示唆するものであることが、ファンの期待を一気に高めました。
そして、2023年11月3日公開。
賛否はどんな映画にでもつきものですが、期待以上の素晴らしいゴジラ映画ができた、と、私は思います。山崎監督については、その演技の付け方や、泣きを誘導する演出にアレルギーを催す人も多いようですし、今回のゴジラでそれを批判する意見も多く観られますが、私はこれまでの山崎作品をあまり見ていませんし、違和感はほとんど感じられませんでした。いや、むしろ、ゴジラ映画を愛でている私としては、天邪鬼が鎌首をもたげて、何か悪い所を見つけてやろうか、なんて気が正直起きましたし、「?」と思うところも無くはないですが、そんなことはどうでも良くなるくらい、大傑作なゴジラ映画であると感じました。よく『シン・ゴジラ』の後にこれだけ傑作なゴジラ映画を作ったなぁ。そして、初代ゴジラにかなり寄っている、リメイクといってもいいけれど、リメイクではない、『ゴジラ』映画として立派な1本であると強く感じました。
そんなに素晴らしいゴジラ映画かって?
それは是非、劇場で体感されてください。
ただの怪獣映画ではありません。
これは、まぎれもなく正真正銘のゴジラ映画です。
そしてもう一度
『世界よ、これが日本のゴジラ映画だ』
本当に、少しだけゴジラの話、のつもりが・・・。
読んでくださった方、そうはいないと思いますが、感謝です。
少しでもゴジラに興味を持っていただけたら幸いです。