公開50年 『 燃えよドラゴン 』というビッグ・バン
この7月20日がブルース・リー没後50年、7月26日が『 燃えよドラゴン 』の香港公開50周年のいうことで、あらためてブルース・リーが起こしたことの大きさを振り返ってみたいと思います。
( ロキュータス名義でのレビューと内容はかなり重なります。すみません。 )
香港製カンフー映画は、ハリウッド製以外で成功した娯楽映画であり、一世を風靡し、またB級グルメ感がある点で、マカロニ・ウエスタンと双璧。
そしてブルース・リーと『 燃えよドラゴン 』は映画を超えて歴史を変えたビッグ・バンだと思います。
ブルース・リーはすでに香港や東南アジアなどの中国語圏では作品が次々とヒットし大スターでしたが、欧米や日本では無名の存在。
いや香港や東南アジアなどの中国語圏そのものが政治経済のみならず文化も後進地域と下に見られ、香港映画は市民権を得ていませんでした。
一方、たとえば『 ドラゴン怒りの鉄拳 』『 ドラゴンへの道 』などでは卑劣な悪役が欧米人や日本人であり当地の観客の溜飲を下げていたわけです。
『 燃えよドラゴン 』以後の日本公開だったのでそれなりにヒットしましたが、公開の順が逆なら、そうなっていないでしょう。
『 燃えよドラゴン 』は制作も配給も香港のゴールデン・ハーベストとワーナーの共同。北京語・広東語版もありますが、世界的ヒットは英語版の映画だからと思います。
作品のフォーマットもアメリカ的B級映画。
低予算で、共演のジョン・サクソンもハリウッド・スターとしては二線級。
武術で交流のあったスティーブ・マックイーンやジェームス・コバーンには遠く及ばない。共演の可能性は今後のことだったでしょう。観てみたかったですね。
007を思わせる、当局の依頼で敵地に潜入するアンダーカバーもの。
ジェームズ・ボンド的なチャラさはジョン・サクソンらにまかせ、ブルース・リーはストイック。 仲間にも悪役にも欧米人がいて、凶悪な強敵もラスボスも中国人でバランスをとっている。
乱暴な船客を戦わずして負かすのは塚原卜伝の逸話にもあるし、弟子に「 Don’t think . Feel ! 」というのは東洋的な師( Mentor )のイメージ。
ベタな、わかりやすい、あえてのミステリアスなオリエンタルのアイコンを演じている。
鋭利な刃のような、狂気をはらんだ鬼気迫るストイックさが超人的な、いわば神のような存在に見せている。
『 燃えよドラゴン 』の香港公開が、ブルース・リーの死後6日目の1973年7月26日。 全米公開が8月17日 日本公開は12月22日。
認知度・温度差を如実に表してますが、公開以後は日本中を席巻した。
探偵ナイトスクープの名作の一つに、1970年代半ばに思春期だった世代の男子はみんなブルース・リーのものまね、女子はピンク・レディーを振付付きで歌えるというのがありましたが、実際そんな感じです。
ぼくの友人にも上半身ハダカで怪鳥音を叫びながらヌンチャク振り回している奴いましたし、クラシック以外では初めて買ったレコードが『 燃えよドラゴン 』のサントラというのもいました。
『 燃えよドラゴン 』は1974年度洋画配給収入2位( 16億円超 )
え、じゃ1位は何と言うと『 エクソシスト 』( 27億円超 )。
ではありますが、4月13日に『 ドラゴン危機一発 』7月20日に『 ドラゴン怒りの鉄拳 』と立て続けに公開され、ともに洋画配給収入4位( 6億円超 )で主演作3作トータルでは『 エクソシスト 』をしのぎ、やはりブルース・リー個人が席巻した1年でした。
東洋人最初のハリウッド・スターと言いますが、それなら早川雪州もいたし、ミフネ(三船敏郎)もいたから違うでしょう。
むしろ非白人でありながら、人種の枠、文化の壁を超えて、世界共通の普遍的なアイコンとなった存在としてはマイケル・ジャクソンと双璧ではないでしょうか。
ブルース・リーと『 燃えよドラゴン 』がなければ、『 Mr.Boo 』 やキョンシーにも、ジャッキー・チェンやチョウ・ユンファやジョン・ウーにも、ウォン・カーウァイらにも、世界は目を向けたでしょうか。
扉を開けたと言うより、風穴を開けたという感じ。
映画にとどまらず、その後の歴史を変えたビッグ・バンだという思いをあらためて抱きました。
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