高峰秀子 生誕百年
日本映画史に残る女優と言うと、誰の名が挙がるだろうか。
田中絹代、原節子、京マチ子、山田五十鈴、岸恵子、若尾文子、吉永小百合、倍賞千恵子
などの名が思い浮かぶが、
「 キネマ旬報 」のオールタイム日本映画女優( 2014年版 )では、1位は高峰秀子。
今年の3月27日で生誕百年を迎えました。
『 千年女優 』の脚本家・村井さだゆき氏は、ヒロインのモデルの一人としている。
まさに伝説の女優
過去に書いた追悼レビューを修正・採録します。
生まれる前から、祖父や父母の代から、波乱万丈の人生でした。
実の父が自分の妹に、四人目の子が生まれたら、養子にすることを約束していました。
それが彼女の数奇な人生のはじまりとなるのは運命だったのでしょうか。
男の子が続いて初めての娘だったため、約束を反故にしようとした函館の実父のもとから、強引に東京へと連れて帰った義母。
不遇な家庭環境からかけ落ちし「高峰秀子」という芸名 ( そこから名付け親 ) の女活動弁士になっていたが、結婚生活はすでに破綻し別居同然。
めずらしく初めて親子三人で出かけたのが松竹蒲田撮影所の見学。
そのとき、たまたまやっていた映画『 母 』の主役の子役のオーディションに飛び入りで参加。
60人ほどの子供たちの中から監督の野村芳亭(後に出演する『 張込み 』の監督・野村芳太郎の父)によって選ばれてしまう。 五歳の春の運命の日。
天才子役と呼ばれ、少女時代はアイドルというべき存在へ。
そして国民的女優へとスターの階段を上っていきますが、木下恵介と成瀬巳喜男をはじめとしていろいろな監督の作品で、一つの色に収まらず、さまざまなキャラを演じていきます。
【成瀬巳喜男監督】放浪記 | 宅配DVDレンタルのTSUTAYA DISCAS (tsite.jp)
父親が会社をくびになった少女 ( 『 東京の合唱 』 )
貧しい暮らしにもめげず作文を綴る少女( 『 綴方教室 』 )
馬を育てる少女( 『 馬 』 )
盲目の中国人少女( 『 阿片戦争 』 )
歌手になることを夢見る娘( 『 銀座カンカン娘 』 )
古風な姉と衝突する現代的な妹( 『 宗方姉妹 』 )
芦屋のお嬢様、( 『 細雪 』 )
帰郷するストリッパー、( 『 カルメン故郷へ帰る 』 )
離島の新米教師( 『 二十四の瞳 』 )
ダメ男と腐れ縁の女、( 『 浮雲 』 )
落ちぶれた置屋に属する芸者、( 『 流れる 』 )
奔放に生きる勝気な女( 『 あらくれ 』 )
灯台守の妻、( 『 喜びも悲しみも幾年月 』 )
強盗殺人事件逃亡犯の元恋人の人妻 ( 『 張り込み 』 )
軍人の夫を亡くしたシングル・マザー( 『 無法松の一生 』 )
ひたむきに生きる聾唖者夫婦の妻、( 『 名もなく貧しく美しく 』 )
作家になる前の林芙美子( 『 放浪記 』 )
亡くした夫の義弟に恋される女、( 『 乱れる 』 )
名医である息子を嫁と張り合う姑( 『 華岡青洲の妻 』 )
ボケた舅の世話をする嫁 ( 『 恍惚の人 』 )
ゆきずり殺人で息子を失う母( 『 衝動殺人 息子よ 』 )
などなど。 いやはや同じ人が演じたとは思えないバリエーション。
大スターにして演技派です
しかし若き日の私生活は決して恵まれたものではありませんでした。
彼女を支配する義母との確執、その母娘ごと「養子」に望まれ同居することになった東海林太郎との奇妙な関係、本人が望んだにも関わらず適わなかった学生生活、義母や会社につぶされた黒澤明との淡いロマンスの芽、
戦時中観て敵国映画『風と共に去りぬ』と『ファンタジア』に圧倒された
戦没者の遺族から形見として送られてきた血染めのブロマイド、
ロケ地の特攻隊基地で迎えた終戦、東宝争議の嵐、彼女の稼ぎを当てにして頼り身を寄せてくる親族、信頼を裏切り彼女を食い物にしていた交際相手や相談相手の映画関係者・・・・。
木下恵介の助監督だった松山善三氏という信頼できる夫を得て、初めて彼女は自分自身の人生を取り戻したと言えるでしょう。
谷崎潤一郎、志賀直哉、川口松太郎、梅原龍三郎といった華麗な交遊関係
勝気で率直かつ毒舌 さばさばした性格。
人気に溺れることなく、杉村春子を尊敬し演技を磨き、自分に厳しい人と言われています。
デビューまもなく年下なので「デコちゃん」と呼んだら「十年早い」と言われた池部良。
でも5年間極寒の満州から南方の離島へ続いた戦地から引き揚げ、マラリアに苦しみ茨城に疎開していた池部をジープで迎えに行き、映画界への復帰を促したのは彼女でした。 持参のおにぎりに感激した食べた池部良。
同行した市川崑は東京の自宅のかつての下宿人。
『 放浪記 』で高峰秀子は林芙美子 宝田明は才能に嫉妬するダメ亭主。 出される料理が気に入らず睨みつけるシーンで、一日半経っても監督の成瀬巳喜男からOKが出ない。
途方にくれて高峰に相談すると「 分かっているけど、もったいなくて教えてあげないよ 」
むかついてはらわた煮えくりかえって本番迎えると一発OK.
宝田明は高峰の意図に気づいて、以後演技の教訓とし、後年高峰に感謝を伝えた。
『 東京オリンピック 』を五輪担当大臣・河野一郎が酷評、マスコミが取り上げて「 記録か 芸術か 論争 」と書き立てた。
高峰秀子は市川崑と河野一郎の対談をセッティングして立ち合い、河野一郎の矛を収めさせた。
その後映画は観客動員記録を作り、市川崑の代表作、オリンピック映画の傑作として世界的に評価が高い。
向学心が強かったにもかかわらず、子役のころから小学校すら満足に通わせてもらえず、読書などで独学で学んだ。
国語辞典の引き方を知ったのは、30歳過ぎて結婚した夫・松山善三に習ってから。
彼のシナリオ作りを口述筆記するなどして筆力を磨いた。
ちなみに自宅の書斎に、彼女の広告ポスターを張っていた老学者・新村出 (「広辞苑」編者)
55歳『 衝動殺人 息子よ 』を最後に引退して以後はエッセイストとして知られ、
自伝「 わたしの渡世日記 」( 文春文庫 )はロングセラー 映画本のスタンダードと言えます。
引退後はメディアの前に現れるのを極力控えておられました。
晩年は断捨離・終活のミニマム生活。
2010年12月28日死去。
その死が世間に知らされたのは、元日でした。
そのこともあり、昔のことは忘れっぽい、新聞やテレビなどの扱いも小さなものでした。
静かな普通の生活を心から欲しておられた高峰さんにとっては、ある意味、それは望むところかもしれません。
死後の偲ぶ会のそうそうたる顔触れや、文春の記者から養女となった斎藤明美氏の著作が多数出版されて、その存在と人気と大きさが改めて明らかになったと思います。
とは言うものの、昭和、20世紀は遠くなりにけりで、若い平成・令和世代で知らない人がおおいのも現実。
これを機会にぜひ作品をご覧ください。
よく知らない方に3本おススメするとしたら、
『 二十四の瞳 』( 1954年 木下恵介 監督 )
『 浮雲 』( 1955年 成瀬己喜男 監督 )
『 流れる 』( 1956年 成瀬己喜男 監督 )
といったところでしょうか。