My Favoriteな映画 ① 「小さな恋のメロディ」
公開が1971年6月26日なので、当時の私は小学4年生。映画の大ヒットを受けて両親が私にこの映画を観賞させようと思ったらしく、映画館まで連れて行かれて一人で観ました。同時上映は「火の森」という少し怖い映画だったのだけれど、こちらは未見。学校で隣の席だった上野さんという女の子も観に行っていて話が弾んだ記憶あり。彼女は同時上映も観ていて、ちょっと羨ましかった。
当時9歳か10歳の私にとって、メロディは恋するに相応しいお相手で、ダニエルとの恋の行方は眩しく切なく、トロッコで線路の彼方に消えていった二人の行く末に胸を締め付けられる思いを抱きました。
斯くしてこの作品は、私にとって生涯を通じてのフェイバリット・ムービーとなりました。ビージーズの"Melody Fair"とCSN&Yの"Teach Your Children"はエバーグリーンな忘れ得ぬ名曲にもなりました。
そして同時に、映画という表現手段に恋する事にもなった。この作品のおかげで、映画を嫌いになる事は一生なさそうです。この作品を公開当時に観賞させてくれた両親には、本当に感謝です。
中3だった1976年にリバイバル公開されて、塾で同じクラスだった洞君という呉服屋さんの跡取り息子と二人で観に行きました。
夢と希望を乗せて線路の向こうに消えていったダニエルとメロディ。二人はあの後どうしたのだろうという映画のその後も気になれば、メロディ役のトレーシー・ハイドは今頃どう成長しているのだろうと気になったものです。
この映画を愛したファンのそんな期待に応えて、「こんなに大きくなりました」とばかりに当時の映画雑誌「ロードショー」に登場したトレーシー・ハイドの姿には、正直複雑な思いを禁じ得ませんでした・・・
多くの楽曲を提供してくれたビージーズもその後ディスコ・ミュージックでブレイクし、往年のストリングス主体の曲調から大きく転換。もはや同じグループとは思えないその変貌ぶりは、この作品の挿入曲を愛するファンからするとこれまたやるせないものがありました。
日付:1976/8/23
タイトル:小さな恋のメロディ | MELODY
監督:Waris Hussein
劇場名:福岡中州ピカデリー2(閉館)
パンフレット:あり(¥200)
<CONTENTS>
・かいせつ
・「小さな恋のメロディ」の優しい力強さ 白井佳夫(キネマ旬報編集長)
・ものがたり
・キャスト
・「小さな恋のメロディ」の音楽について 和田泰弘
・ドロップアウトへの・・・・・・・美しい祝福 三橋一夫(音楽評論家)
ちなみに1974年、76年、78年とこの頃頻繁にリバイバル公開されていた模様です。パンフレットには昭和51(1976)年7月印刷・発行と記されていた。中身は初公開時と変わらないのでは。
8年前の2015年には「午前十時の映画祭」で約39年振りに劇場で鑑賞。この作品がPG12指定って、映倫大丈夫か?
「一度、スクリーンで見たかった。もう一度、スクリーンで見たかった」という映画祭のキャッチ・コピーそのままの心持ちで劇場に。この作品を当時13歳になる私の娘が観たらどんな印象を持つのだろう?と、お願いして一緒に観てもらいました。
"In The Morning"の調べが郷愁と気恥ずかしさとを呼び覚ましながら、幼い頃の宝箱を久し振りに開けたかのような気分。
今観ても瑞々しさは健在でした。
"Teach Your Children"が流れ始めた段階で、ポロポロと涙が溢れてきた。上映終了後、明るくなった劇場で涙目のパパを見た娘は、一体全体この映画のどこに泣きのツボがあったのだろうと不思議がっていました^^;。
つまんなかったらどうしようと内心心配でしたが、彼女も楽しめたそうです。
監督のワリス・フセインは、映画監督としては全く成功しなかったものの、1990年代まではイギリスのTV映画監督として数多くの作品を手掛けている。IMDb で彼のフィルモグラフィを見たら、数多くのTV番組に混じって"Chiisana-koi no merodi"という和製タイトルが掲載されていて驚いた。いかにこの作品が日本だけのものなのかを改めて認識。かつて日本で大ヒットした名作として英国に逆輸出したくもなりました。