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私の好きな映画

LOQ
2024/09/11 10:26

山崎貴作品から戦争を考える。

 

今年のアカデミー賞の後行われた山崎貴とクリストファー・ノーランの対談をネット動画で観て興味深かったですが、ノーランが『 永遠の0 』を観ているのに驚きました。

 どう思ったか、とても気になります。(笑) コワいな、とも思ったのが正直なところです。(笑)

と言うのも、海外では特攻ではカミカゼと呼ばれ、無条件に非人間的な狂気の作戦、兵士も狂信的という見方が圧倒的に強いですから。 

いや、自国の戦没者に対しての思いというのは複雑でセンシティブなもの。

特攻は日本国内でも物議を醸すテーマで、基本ドメスティックな題材と思います。

 

家族や友人などが出征すると、生きている間は「 君死に給うことなかれ 」ですが、

亡くなった場合は感情のやり場に困ります。

 

 英雄とか名誉の戦死とか祀り上げる者がいれば虚しいし、一般に命じた側への批判に欠けるところがあるのはたしか。

人生も命も奪われ犬死に過ぎないのに、魂まで奪われてたまるか、戦争の美化に使われてたまるかと。

 

 ただ、その一方で理不尽な命令に従わざるを得なかった兵士へのシンパシーから、その死の否定的な扱いは死者を冒涜するようで、それはそれできわめて強い反発を招いてしまう。

賛美か拒絶どちらの感情を抱くか、と言うよりもアンビバレントな思い、矛盾した屈折した感情に引き裂かれることが多い。

 

 あるいは戦没者ではなく帰還兵もその屈折した感情は『 仁義なき戦い 』などでも、アメリカ映画でも南北戦争から現在にいたるまでしばしば見られるテーマで、

戦地に送った政府や軍に怒りを覚えるが、自分は戦地に行かず反戦平和を口にするエリートや帰還兵に無関心で冷淡な世間にもいらだちを覚える描写がある。

属した軍が戦争に敗れ大義が否定されることになった国ならなおさら、つまり日本とかドイツとかベトナム戦争のアメリカの惨めな帰還兵にとって、やりきれない鬱屈した思いは根が深い。

 

 ぼくは本作のレビューで、石田衣良氏や井筒和幸氏の本作への批判記事を批判しました。

 特攻映画への反感や異論・反論はあって当然ですし、その指摘にはうなずける点も多いです。

しかし右傾化エンタメとかの政治的レッテル張りや罵倒は却って逆効果と思います。

僕もむしろ反感を感じました。

 

   ロキュータス名義のレビューは  こちら

 

 ぼくはどんな作品にも政治性、思想性があり、その点を指摘・批判はあっても、ラベリングは避けるよう心掛けたいと考えています。逆に左翼エンタメとか反日エンタメという言い方も可能でしょうし、特攻を美化していると言うなら戦没者を逆に貶めているという逆宣伝も可能でしょう。  

 

 論争はアカの本を読む奴はアカ、ウヨの映画を観る奴はウヨといった類の話になりがち。

そういう僕もしがちですが、レッテルは張った時点で思考停止の結論となり、二項対立のパターン化した対立図式に囚われてしまうので留意したいと考えています。

 

 さて山崎貴監督の『 アルキメデスの大戦 』は『 永遠の0 』とは趣が変わりました。

 

  ロキュータス名義のレビューは こちら

 

レビューの繰り返しになりますが、世界の歴史を見ると、敗れた側・賊軍となった側のヒーローとされる存在がいます。

 

 敗けて賊軍となった屈辱に耐えていく上での心のよりどころで、

第二次大戦のドイツでいえばロンメル、

南北戦争では南部のロバート・E・リー。( ジョン・フォードの『 黄色いリボン 』にも出てきますね。  今は騎兵隊に属している元南軍兵士は敗将リーへの敬意が自らの矜持。リーは近年銅像が撤去されるなど否定化が進みましたが、それを良しとしない側の鬱屈した思いが心配。 )

日本の場合は山本五十六であり、兵器ではゼロ戦と戦艦大和などがそれに当たります。

 

  映画冒頭の戦艦大和の最期のシーンが壮絶で、胸を打ちます。

印象的なシーンが描くのは、命を捨てて戦うのを美徳とする日本と、死力を尽くしても生き延びて再び戦うことを前提としたアメリカ。

 物量の差や戦況の優劣の差を越えた、日米の戦争思想の差をまざまざと見せつけられて、大和の乗組員たちは絶望の中で死んでいく。

 

 山本五十六による艦上閲兵のシーンは『 トラ トラ トラ ! 』を連想させ、勇壮でかっこいいで

す。

 

だが大和の最期を思うと、敗者のヒロイズム、亡びし者たちへのオマージュを越えて、心が痛く哀しみを覚えます。

 

 

 さて『 ゴジラ-1.0 』

                 Ⓒ2023 TOHO CO., LTD.

 

あらためて、東宝(  円谷英二 )特撮映画の原点は『 ハワイ・マレー沖海戦 』

つまりゴジラ映画とは戦争映画の性格を持ち、日本が戦場になるのが基本のシチュエーションで、怪獣による破壊は戦災のメタファー。

1954年第1作は第五福竜丸事件が創作のきっかけで、オキシジェンデストロイヤーを開発した科学者・芹沢大助( 平田昭彦 )はゴジラを倒すためにそれを新兵器として使うべきか苦悩する。

 

ゴジラ映画はヒットしてシリーズ化、さらに怪獣映画はジャンル化して怪獣同士あるいはヒーローと怪獣のバトルを描くエンタメとなっていきました。

マンネリ化した中で『 シン・ゴジラ 』がヒットした理由の一つは、

原点回帰して日本が戦場になる設定がリアルであり、

思考実験として刺激的な知的エンターテインメント、だからリピーターが多かった、と僕は考えます。  

 

さて、『 ゴジラ-1.0 』の主人公敷島浩一( 神木隆之介 )は元特攻隊員。

敗戦の喪失感とともに、死ぬのが怖くて戦わなかった、そのために仲間を死なせてしまった、その負い目を抱えて生きている。

それでもゴジラと戦わざるを得なくなった。ではどう戦うのか。

 

過去のゴジラ映画の中には、ゴジラに機体を突進させ、特攻を思わせる作品が何本かあります。   だが本作は違いました。

本作が国際的にも評価されたのは、アカデミー賞を獲った視覚効果のすばらしさだけでなく、命を捨てることを美徳としない、主人公の戦いぶりへの共感だと思います。

 

山崎貴監督の、『 アルキメデスの大戦 』に続いての、日本人にとっての戦争論 と考える時、これを支持し賞賛したいと思います。

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1 件の返信 (新着順)
かずぽん
2024/11/12 22:33

『 ゴジラ-1.0 』をやっと観ました。
それで、やっとLOQさんのこのコラムでの発言の意味をちゃんと理解出来たつもりでいます。
 ひとつの作品を観ただけでは、感想も考えも偏ってしまいますね。第二次世界大戦にテーマを絞っただけでも何作品もありますし、日本側、アメリカ側の視点によっても随分印象が違います。
私などは他作品を観れば観る程、どんどん混乱してしまうのですが、いつかは自分の考えもまとまるかも知れません。
勉強になりました。ありがとうございます。


LOQ
2024/11/12 23:38

コメントありがとうございます。
いや僕もいろんな作品の違う視点で混乱します。
戦争映画と反戦映画とか、加害者側と被害者側とか180°言ってることは違うのに、その都度共感します。
いいかげんではありますが、それが自分の多様性だと自身に言い聞かせ過ごしています。
結論でなくて、もやもやしても、ああでもないこうでもないと考え続けることで良しとします。