戦後、こころの焼け野原に神を想った作家。 その1
2023年3月27日 遠藤周作生誕100年となりました。
遠藤周作は22歳の時、終戦を迎えました。
同世代、いわゆる戦中派の青年の多くがそうであるように、松本清張、司馬遼太郎らは出征し軍隊生活を経験してますが、遠藤周作は体が弱く肋膜炎のため召集が遅れ、入隊直前で終戦。まずその点で負い目を感じたことでしょう。
遠藤の住む学生寮が東京大空襲に合うなど各地が物理的に焼け野原に。
それ以上に、戦争のもたらした過酷な現実は、この時代の人々に「 人間はこんなにも愚かで残酷になれるものなのか 」の絶望感から旧来の価値観に疑問を抱かせ、精神の焼野原をもたらしたのではないでしょうか。
遠藤周作は12歳の時カトリックの洗礼を受けますが、先の大戦の時代日本ではクリスチャンは少数派であり、さらに言えば外来の敵性宗教の扱いを受けたことでしょう。
一方キリスト教国と言える欧米からすれば日本は異文化、異人種の国。
日本の精神風土とキリスト教どちらにも疎外感を抱く遠藤にとって、戦後は「 こころの焼け野原 」から「 神とは何か 」「 自分とは何者か 」を問う人生の旅への出発でした。
1950年、カトリック文学を学ぶため、戦後初の留学生としてフランスに渡ります。
留学先は自由を象徴するパリではなく、保守的な土地柄で第二次世界大戦中はヴィシー政権下にあってレジスタンス運動の拠点でもあったリヨン。
3年間学びますが肺結核を患い、博士号を断念して帰国。
1955年「 白い人 」で芥川賞受賞。
主人公は母からの信仰の呪縛を憎悪する無神論者で、戦時中フランス人でありながらゲシュタポの手先となった男の話。
1957年、代表作のひとつ『 海と毒薬 』を発表。
第二次世界大戦中の、九州大学医学部の米軍捕虜生体解剖事件がモデル。
同作は1986年熊井啓監督で映画化。
第37回ベルリン国際映画祭・銀熊賞審査員グランプリ受賞。
第60回キネマ旬報ベストテン日本映画第1位。
小説も映画も事件をモデルとしているが、コトの告発、糾弾は二次的なことで、主眼は罪を犯した人間たちの心を描くことにあり、そのためのモチーフといっていい。
史実との齟齬からの作品批判は本題とは別の話。
この作品の登場人物は、恐るべき事を犯しましたが、極悪非道な悪というよりハンナ・アーレントが言うところの凡庸な悪と思います。
端的に言えば亡者です。
戦争とは矛盾が暴力の形であらわれたもの。 そして矛盾そのもの。
ジョージ・オーウェルが『 1984 』で描いたように、不毛な戦争を遂行する全体主義独裁体制が強いたのは「 2+2=4 」という真実に代わって「 2+2=5 」という虚偽に従う( 白を黒 )ではなく、「 2+2=4 」「 2+2=5 」どちらでもいいという意味の喪失。
全体主義とは虚無と冷笑と個性を否定する者への隷従ですね。
悪という意味すら持たず、命などどうでもいい不毛な虚無。
『 ダークナイト 』のジョーカーもそうですね、それこそが不毛な虚無の恐ろしい、おぞましさ。
遠藤周作は、魂を失い苦悩し畏れを抱く人間たちと、神からの視線を対置させることで、生きることの意味を『 海と毒薬 』で描いています。
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