戦後、こころの焼け野原に神を想った作家。 その2
僕は哲学も宗教もきちんと学んだことはありません。
小説とか映画で宗教的な命題に接すると、その都度、雑学とさえ言えない断片的な知識を寄せ集めごちゃまぜにして、とりとめもなく我流で考えて過ごしてきただけ。
宗教で疑問に思うこと。
悪いことをした人間が不幸な結果に終わった時、「 天罰 」「 因果応報 」と思える時がある。
ではもし神が存在するなら、何の罪もない人間が災害や事故、事件に巻き込まれるのはなぜなのか。
逆に障害を抱えたり、不幸な境遇にいる人は、何かの報いと言えるのか。
偶然と必然を分けるものは何なのか。 あるいはすべては偶然と確率の問題なのか。
罪を犯した人間が罰を受けず赦されるなら、被害者はやられ損ではないのか。
もし神が存在せず罰が当たらないなら、どうして人は畏れや罪悪感を抱けるのか。
こうした矛盾する疑問だらけで、もし神が存在するなら答えてほしいものです。
でも、もし「 神を見た 」「 神の声を聞いた 」と言う人がいたら、異教徒や無神論者だけでなく、信者も、いや信者ならなおさら疑いを抱いて真偽を確かめたくなるでしょう。
神との遭遇は『 十戒 』などの神話か、『 オー ! ゴッド 』や『 ブルース・オールマイティ 』などのファンタジー・コメディの話でしょう。
『 重力ピエロ 』には、「 神の怒鳴り声がしたという父親 」などの描写に「 それキリスト教の考えなの? 」と疑問を抱くレビューを書きました。
そこで触れたようにクリスチャンの中には「 神は沈黙する 」と考える人がいるようなのです。
その説を最初に知ったのは、遠藤周作の『 沈黙 』を読んだときでした。
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