鈴木ヒロミツの出演映画
次は誰にしようかと思いついたのが鈴木ヒロミツである。鈴木は46年生まれで、本名は鈴木弘満という。
鈴木ヒロミツと言えばザ・モップス。66年に星勝(ギター)、三幸太郎(サイドギター)、村上薫(ベース)、スズキ幹治(ドラム)の四人で結成されたインストゥルメンタルバンドに幹治の実兄である鈴木ヒロミツがヴォーカリストととして加わって結成された。
67年にホリプロにスカウトされ、「朝まで待てない」でデビュー。GSとしてはかなり後発のグループであり、ルックスで人気になるようなメンバーもおらず、当初は「日本最初のサイケデリックサウンド」を掲げヒッピーのような衣装と風貌であった。
69年に村上が脱退し、三幸がギターからベース担当に変更となり四人組で活動を継続。
70年に入り、GSが衰退していく中、「ニュー・ロック」のバンドとして活動を続け、72年に「たどりついたらいつも雨ふり」を大ヒットさせている。

映画出演も数本あるのだが、全て「モップス」として演奏しているのみである。「こわしや甚六」(68年松竹)、「女番長野良猫ロック」(70年日活)、「斬り込み」(70年日活)、「野良猫ロック暴走集団'71」(71年日活)、「悪の親衛隊」(71年東映)等がある。
72年には坂口良子のデビュー作でもある「アイちゃんが行く」に7話よりレギュラー出演(鈴木ひろみつ名義)。グリコ提供の番組だったが、当初のレギュラー吉田次昭がロッテのCMに出演したため降板となり、後任に抜擢されたのである。
鈴木が初めて出演した映画は「愛こんにちは」(74年東宝)という作品のようだ。実はこの作品、事情は不明だが未公開なのだという。ただ、そのストーリーと出演者についての情報は判明している。
主演はチェン・チェンという恐らく中国系の女優。台湾か香港かもしれない。瓜二つの別人と間違えられ、事件に巻き込まれるという、よくあるタイプのコメディのようだ。彼女に関しては詳細がわからなかったが、同時代に「薔薇の標的」(72年)、「卒業旅行 Little Adventurer」(73年)にも出演している。彼女が二役で他に三田明、荒谷公之、有吉ひとみ、柳川慶子、藤木悠、二瓶正也、立花直樹、藤村有弘、名古屋章などが出演している。鈴木は「茂」という役だが、どういう役柄かは不明だ。本作が陽の目を見ることはあるのだろうか。

そんなわけで、公的に鈴木の初出演映画となるのは「伊豆の踊子」(74年)ということになる。誰もが知る川端康成の小説で、これが6度目の映画化となる。主演は山口百恵で、これが初主演作品である。所属のホリプロとしては、歌は売れないが(当時)、人気は高いので役者に転向させようと考えたらしい。色々な案があったが、無難に文芸路線で行くことになり、本作が選ばれた。監督も日活で吉永小百合、高橋英樹で映画化された63年時(4度目)の監督である西河克己が選ばれた。最初から三浦友和で決まっていたイメージがあるが、当初は一般の大学生から公募で選ぶ方針で、実際に東大法学部の学生だった新保克芳が四千人の中から選ばれている。
しかし監督の西河は名古屋弁の強かった新保に反対。プリッツのCMで百恵と共演していた三浦友和を推したのである。当時は友和もあまり売れておらず、今度は東宝サイドが反対したが、西河が強硬に押し切ったのである。こうして百恵友和コンビが誕生。公募で選ばれた新保はワンシーンだけ登場し、その後は映画にかかわることはなく弁護士となった。ちなみに、05年のホリエモン騒動でライブドアの顧問弁護士として新保が登場したという。
話が横道に逸れたが、他の出演者は中山仁、佐藤友美、一の宮あつ子、浦辺粂子、江戸家猫八、三遊亭小圓遊などで、ホリプロからは石川さゆり、佐藤恵美、そして鈴木ヒロミツが出演。鈴木の役は旅館福田屋の板前である。また、百恵の曲の多くを作詞した千家和也も薬売り役で顔を見せている。
ちなみに、「伊豆の踊子」は本作以降映画化されていない。