花の咲く季節に別れましょう・・ いつまでも冬のままならいいのに・・【ネタバレあり】
タイトルのようなセリフのある映画を先日、観て参りました。
『ラ・ボエーム ニューヨーク愛の歌』です。
上映されている劇場も、あまり多くなさそうなので、こんな映画がやってるの?という方もいらっしゃるかと思います。
本作は、パリのボロアパートにシェアルームしながら暮らす貧乏な若者達の青春の日常、出会いと別れを描いたオペラ『ラ・ボエーム』を、時と場所を、現代のニューヨークに変えて映画化したミュージカルです。
ミュージカル、とされている本作ですが、実はストーリーに影響ない程度にカットされて90分にまとめられた、オペラそのもので、ミュージカル映画というより、”オペラ映画”と呼ぶ方がふさわしいと思います。
オペラ『ラ・ボエーム』
少しオペラ『ラ・ボエーム』に触れてゆきます。
本作、まんまオペラなので、このオペラの話をすることで、映画の方もご理解いただけると思います。
このオペラはイタリアの作曲家 ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)のキャリアの初期に作られた全4幕の作品。プッチーニのオペラは、内容はご存じない方でも、このメロディはどこかで聞いたことがある!と思わせる程のメロディメーカーで、美しく抒情的な旋律が欧米のみならず日本でも大変人気の高い作曲家です。このオペラの他『蝶々夫人』『ジャンニ・スキッキ』、スケーターの荒川静香さんがオリンピックで金メダルを取った時に使用した『トゥーランドット』等があります。2008年にはプッチーニを取り巻くスキャンダルを映画化した『プッチーニの愛人』という、なかなかよくできた映画もあります。
【あらすじ:ネタバレ含みます】
登場人物は詩人ロドルフォ、画家マルチェッロ、音楽家ショナール、哲学者コッリーネという4人の男性。彼らと同じアパートに住むお針子のミミとロドルフォがひょんなことから出会い恋仲に。
クリスマスイブ。ミミを囲んでカフェ・モミュスでパーティをしている彼らのもとに現れたのは歌手でマルチェッロの元カノのムゼッタ。その場で老パトロンと激しく別れた彼女はマルチェッロとヨリを戻す。こうして2カップルが誕生し時が過ぎる。
そんなある日、アパートを出てムゼッタと一緒に酒場に勤めだしたマルチェッロのもとに、ミミがやってきて、「ロドルフォが嫉妬深く、自分を罵倒する。助けてほしい」と訴えてくる。見るからにやつれてしまったミミに同情する彼は、ミミを帰らせ酒場でくだを巻いているロドルフォに詰め寄る。が、ロドルフォが口にした事実は悲しむべきものだった。ミミは大病を患い余命いくばくもない。暖房も無い貧乏アパートに居たままでは彼女の寿命を縮めるだけ。僕のせいで彼女は死んでしまう・・
と、帰ったはずのミミは隠れてその話を聞いてしまっていた。なんとか取り繕うとしたロドルフォだが、二人は別れる決心をする。
また時が過ぎ、ムゼッタと破局したマルチェッロ共々、元の野郎4人のシェア生活。と、そこへ、瀕死の状態のミミが、ムゼッタに伴われ現れる。最後にまたロドルフォに会いたいと・・。ロドルフォへの変わらぬ愛を告げ、友人達の見守る中、息を引き取るミミ・・。
本コラムのタイトルに使ったのは、ミミとロドルフォが別れる決心をした際のセリフ「冬の独りぼっちは死ぬほど辛い。でも春になればお日様が友達になってくれる。春になったら別れましょう。ああ、いつまでも冬のままならいいのに・・・」です。
ああっ、もう、ここの音楽の美しさと言ったらありません。本当に涙を誘います。しかも、誰もが望む暖かな春の到来ではなく、いつまでも冬であってほしい、と願う二人の気持ちとシンクロする音楽のことを考えると、今こうやって執筆しながら、思い出してギャン泣きしている五十郎であります・・。
映画と『ボエーム』
このオペラには「ボヘミアン生活の情景」という原作があります。「ボエーム」イコール「ボヘミアン」です。「ボヘミアン」といえば葛城ユキさんの歌や、数年前映画にもなったクィーンの「ボヘミアンラプソディ」なんかで聞きます。もともとは流浪の民、ジプシーを指す言葉だったようですが、後にまさにこのオペラの登場人物のような、貧乏でその日暮らしを謳歌する若者達の事を言うようになりました。
この原作は雑誌記事から戯曲、小説として出版され、その時点で人気だったことがうかがわれ、実はプッチーニと同時期の別の作曲家もオペラ化したのですが、プッチーニのそれが、あまりに素晴らしく、また人気となったため、今ではほとんど顧みられることがありません。
で、このボエーム。何度も映画化されているのです。原作小説を映画化した、と言いたいところですが、プッチーニの影響下にあることは確かで、アンチプッチーニとしての映画化である、アキ・カウリスマキ監督の『ラヴィ・ド・ボエーム』でさえも、アンチという点でプッチーニの影響からは逃れられていないといっても過言ではないでしょう。
また今作のようにオペラをそのまま映画化した、いわゆる“オペラ映画”というジャンルでも数本作られています。余談ですが、欧米ではオペラを映画化するという文化が根付いており、これまで多くのオペラが映画化されています。
また、今回の作品は「ミュージカル映画」とジャンル分けされていますが、実はこのオペラをミュージカル化した作品がすでにあります。『RENT』がそれで、映画化もされています。
ニューヨーク愛の歌
舞台を現代のニューヨークに移した本作。
正直、違和感が無くはありません。
まず、台詞、というか歌詞です。オペラをそのまま映画にしているので言語はイタリア語であることです。
それから歌詞ではカフェ・モミュスに行こう、となっているのに、字幕にはチャイナタウンと出てたり、カフェでなく、場末感たっぷりな中華料理屋だったり。
登場人物のうち主役のミミ、ロドルフォ、そしてコッリーネが東洋人であることだったり。コッリーネは日本人で、一瞬日本語をしゃべったりします。
あと、ニューヨークに行ったことが無いのでわからないのですが、今時、若者がこんな貧乏くさい(外の雪が部屋の中に入り込むような)ボロアパートにシェアするなんてことが、天下のニューヨークでありえるのか…?
観ながらいろいろ考えちゃいました・・。
が、
先日の『ジョン・ヴィック』や『ブレッドトレイン』なんかに見る、トンデモジャパンのことを考えれば、この程度の違和感なんて、なんてことはない。
また、主役が東洋人なのも、人種のるつぼたるニューヨークぽさをだすのならば、むしろ自然なのかもしれない。
ただ、ここでこの手の映画を鑑賞する上での最大の難関、オペラやミュージカルが苦手という人が抱く、最大の違和感は「台詞が歌」「いきなり歌が始まる」ということでしょう。こればっかりは穴を埋めるのはなかなか難しい。ただ、結構先入観で身構えてみているから、いつまでも作品に溶け込めない、ということもあるので(現に私の友達はミュージカル拒否症でしたが、洗脳、いや、手ほどきして、好きにさせました)、美しい音楽と映像に耳目を集中させてご覧いただければ、きっとこの作品の世界観に没入できるようになると思います。
この映画の素晴らしいところ
①映像の美しさ
これはもう、特筆すべきでしょう。閑散とした夜のチャイナタウン、冷たさを通り越し、痛さまで感じてしまうような雪景色。夜明け前のハイウェイ。静かで美しい光景が、歌や音楽で盛り上がった次の場面で差し込まれると、キュッと胸を締め付けられるような、ハッとした気持ちを抱かされて、目を通してその美しさが心にストンと落ちてきます。
②出演者たちの歌のうまさ
正直いっちゃうと、五十郎、映画と同様にオペラ歌手や演奏家も昔の方が好きで、現代の人たちのことはどうも疎いのですが、出演者皆さん高水準。なかでもミミ、ムゼッタ、マルチェッロは特に素晴らしい。ミミのチャーミングな容姿と、それに合わない?安定した深い歌声に、五十郎は萌え💗
ロドルフォは歌はともかく、容姿がなんとなくマギー司郎を想起させるのと、芝居がいかにもオペラ的な大仰なものになってる節があるので、そこは笑って許してって感じですかね。
③この名作オペラを現代に蘇らせた
オペラなんて、前時代的な娯楽・・。と思う方もいらっしゃるでしょうが、この名オペラをミュージカル映画として蘇らせ、若い映画好き、オペラは観たことも無いし興味も無いけど映画好き、という方々にも楽しんでもらえるように美しい映像で綴った、なかなか洒落ていてオペラへの興味にもつなげてくれるような作品に仕上げてくれたことに感謝です。
音楽づくりも若く有能な歌手を据えて、とても聞きやすくなっていますし、本来、オーケストラで演奏される音楽をすべてピアノ伴奏にしていることで、音楽が重くなったり大げさになったりすることを避けてミュージカルっぽさを演出したところなど、実に感性がいいですね。
④素直に、「泣ける」映画
もう、とにかく、この映像と音楽に身をゆだねて、心からの涙を流しましょう!
違和感、雑念を捨てて作品に没入すれば、必ずや涙腺崩壊。体の穴という穴から涙を流して、心と体のデトックスができると思います。
劇場に居た私も、周りの観客も、みんな鼻すすってました。
この先、どこの劇場で公開されるのかはわかりませんが、きっと充実した90分が過ごせることと思います。もし見つけたらご覧になって見てくださいっ
ここまで、このクソ長い文章にお付き合いいただいた方、ありがとうございます。
あなたに素敵な映画ライフを送っていただける一助になれたら幸いです。