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私の好きな映画

LOQ
2025/02/21 11:05

『 十戒 』と『 ベン・ハー 』の違い

1950年代から60年代にかけて、ハリウッドでは聖書やキリスト教の伝説を題材にした叙事詩的なスペクタクル大作(まだまだ白黒の時代にカラー)映画が何本も作られました。

 

 たとえば、『 サムソンとデリラ 』(1949)『 クオ・ヴァディス 』(1951)『 聖衣 』(1953 シネマスコープ第1作 ),  『 キング・オブ・キングス 』(1961)『 偉大な生涯の物語 』(1965)『 天地創造 』(1966)などです。

 

 ぼくは勝手に“ 神様もの ”と呼んでいるのですが、ちなみに日本では大映が『 日蓮と蒙古大襲来 』(1958)、『 釈迦 』(1961)を制作しています。 社長の永田雅一が熱心な日蓮宗信者だったためですが、言うなれば“ 仏様もの ”ですね。

あきらかに当時のハリウッドのトレンドの影響でしょう。

 

 閑話休題。 それらの作品で双璧と言えるのが『 十戒 』(1956)と『 ベン・ハー 』(1959)ではないでしょうか。

 

 

 どちらもチャールトン・ヘストン主演の超大作なので、長らく似たような作品と思っていました。 

 

 だがハリウッド映画史を見ていくと、赤狩りをめぐって両作品の監督は対抗し合う真逆の立場。

『 十戒 』の監督セシル・B・デミルは保守の赤狩り支持派の中心的存在。

『 ベン・ハー 』の監督ウィリアム・ワイラーはリベラルの赤狩り抵抗派の中心的存在。 

 

   1952年度アカデミー賞をめぐる両派のバトルは こちら

 

そこを考えると、『 ベン・ハー 』は『 十戒 』に対するアンチテーゼの “ もの言い映画 “ではないか・・・というのが今のぼくの考えです。

 

ただワイラーら当時者や、評論でもそのような主張は確認できていません。

また『 ベン・ハー 』はMGMが1952年からあたためていた企画で、ワイラーは途中からの参加。 ただそれでもデミルを批判するワイラーの作家性が反映されてると思います。

あくまで僕の深読みと言うか、過剰な主観あるいは思い込みかもしれない個人的見解ですが、以下ネタバレを含み自説を述べていきますので、あらかじめご承知ください。

 

『 十戒 』は、冒頭 セシル・B・デミルの作品意図を述べる舞台あいさつから始ま

ります。     ( テレビ放送などではカットされてるバージョンもある )

 

この時期“神様もの”が何本も作られたのは、冷戦が共産主義(無神論者)との宗教戦争だからと考えますが、彼がエジプトのファラオをtyrant( 専制君主 )ではなく、dictator( 独裁者 )と呼ぶところにそれを感じます。

 

自由の大切さを説き、エジプトの奴隷にされていたユダヤ人が解放されますが、神ヤハウエもモーセも父権的でおっかない

エジプトもユダヤの民も言うことを聞かないと、呪いやたたりで脅され、しまいには神の怒りに触れて殺され地獄に落とされる。

 

『 ベン・ハー 』では、ベン・ハー( チャールトン・ヘストン)はメッサラ(スティーブン・ボイト )から反ローマの動きがあれば密告しろと言われます。

断ると、事故で無実なのに反逆者として捕らえられ奴隷にされてしまいます。

ここに赤狩りを連想します。

 

絶望している彼の前に現れたイエスは希望と救いの存在で、メッサラの破滅も事故で自業自得。  神はけっして呪ったりたたったりしない。 神の奇蹟は救いにこそ現れる

 

セシル・B・デミル( 1881 ~ 1959   )

 

アメリカ東部の生まれ・育ちで両親とも演劇人。兄も劇作家。

父親はオランダ系移民。 母親はドイツ系ユダヤ人でイギリスからアメリカへ来た移民。

母親は両親の反対を押し切って結婚、キリスト教(米聖公会)に改宗。

デミル本人の信仰は確認できなかったが、おそらく母親と同じ。

 

キャリアのスタートはニューヨークだったが、特許の使用料を求めるエジソンの目から逃れて、新興開発の地ロサンゼルスへ。

処女作『 スコーマン ( The Squaw Man  「インディアンを妻にした男」の意 )(1914)

ハリウッド初の長編映画 74分。  

その後『 チート 』(1915  早川雪洲・主演 )などセンセーショナルな内容や豪華な衣裳・セットの作品で人気を博すが、保守層の反発を受けると聖書を題材に大作『 十誡 』(1923)『 キング・オブ・キングス 』 (1927)などを製作。

 

 

 

 

           

 

まさにハリウッドの歴史を築き、” 神様もの ”のジャンルを確立させた彼の集大成(  そして遺作 )が『 十戒 』

 

レビュー広場 ロキュータス名義のレビューが  こちら

 

 

そのデミルの代名詞とも言えるジャンルに挑んだのが、

 

ウィリアム・ワイラー( 1902 ~ 1981 )

生まれ育ったアルザス地方は、ロレーヌ地方とともにフランスとドイツが普仏戦争・両大戦で領有を争った土地で、ワイラーが生まれた時はドイツ領 第一次大戦後はフランス領。

現在はヨーロッパ統合のシンボルとされている。

父親はスイス出身、母親はドイツ出身のともにユダヤ教徒。

ワイラーはフリーメーソンと言われていて、本人の信仰はわかりませんが、おそらく不可知論者。

 

両作品は対照的な神の描写ですが、クリスチャンのデミルが旧約聖書( ユダヤ教にとっては唯一の聖書 )を題材に、ユダヤのワイラーがイエスとキリスト教の題材に、互いに相手の神を描いていて興味深い。

「 力で人を従わせるのではなく希望と救いの神なのが、あなたの信じるイエス・キリストではないのか 」とワイラーがデミルに対して見せているように思います。

 

そして長らくユダヤ人は「 神殺しの民 」と差別・迫害( 『 フェイブルマンズ 』でもそういう描写がある )されてきましたが、『 ベン・ハー 』で描かれるのは、イエスを処刑したのはローマ帝国であること。  イエスはユダヤ人を呪ったり祟ったりしていないし、最初に信者となったのはユダヤの人々となったこと。

『 ベン・ハー 』がオスカー11部門( 史上初 現在も最多タイ記録 )したのは、保守層だけでなく、ハリウッドに多いユダヤ系にも支持されたからと考えます。

 

レビュー広場 ロキュータス名義のレビューが こちら

 

大ヒットしてMGMを経営危機から救い、オスカーも大量受賞して、次回作の企画が最も通りやすい立場になったワイラーが撮ったのが『 噂の二人 』。

テーマは当時タブーだった同性愛。 原作はリリアン・ヘルマン パートナーのダシール・ハメットと共に赤狩りでパージされ、ハメットは死の床にいました。

心ない密告からの排斥に破滅させられる人物  赤狩りを想起させますが、ワイラーの闘いは続いたのですね。

   

 

          

 

 

 

レビュー広場 ロキュータス名義のレビューが  こちら

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1 件の返信 (新着順)

デミルとワイラーの対比というのがたいへん面白いです。
どちらもユダヤ系ですが、その時代を生きていく術が違ったんでしょうね。
「ローマの休日」はハリウッドのスタジオで撮れなくて、ローマロケを慣行したと聞きました。
「ベンハー」のリメイクがありましたが、つくる必要はなかったです。


LOQ
2025/03/04 15:45

コメントありがとうございます。
二人の生き方が映画に出ているようで興味深いです。
『 ローマの休日 」が最初の企画、フランク・キャプラ、エリザベス・テイラー、ケーリー・グラントだったら全然違う作品になったでしょうね。
オードリーとペック以外に考えられないし、エディ・アルバートもリベラルな人で、妻のマーゴとともに共産党員でなかったにもかかわらず、ブラックリストで苦労したと聞くと、自由との闘い、人としての信義の作品とあらためて思います。

赤狩りのスタンスとしては圧倒的にワイラーを支持しますが、『 十戒 」と『 ベン・ハー 」とどちらがおもしろい映画かというと、格調高い『 ベン・ハー 」より僕は『 十戒 」です。
男は筋肉むきむき、女は胸と曲線美を強調してグラマラス。 悪役もキャラが立っていて、海は割れるし、話もツッコミどころ満載でオモロイ。
我ながら俗物だなと思い、困ったもの(笑)ですが、正しさとオモロさは別なんですね。