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LOQ
2023/03/27 17:57

戦後、こころの焼け野原に神を想った作家。 その3

 問い その1

 形あるもの。 物質や肉体、文字や表現が存在するのは、見たり触ったりできてわかりやすい。

 では形がないもの、 人間が内面に持つ考えや感情、概念や印象、自分と他者の間の習慣、制度や関係など、見たり触ったりできないものは、存在しないのか。

 

 問い その2

 涙を流している人がいる。

 では、その人は悲しくて泣いている、と言えるのか。

その場合も当然あるけれど、目にゴミが入っても涙は出る。

悲しいが笑ってしまうこともあるし、悲しいからこそ泣けないこともある。

 

 客観的な確かな事実は「 涙を流している 」ということだけ

それはなぜなのか、本質、意味、原因、理由などは、外から見ても後でわかってくるか、あるいは不確かでわからないこと。

 そして人がその内面で何を考え思っているかは、当人か、いるとすれば神しかいない。

当人にもわからないか自分にウソをついていれば、すべてを見ているのは神のみ。

人間は神にはウソをつけない。 絶対的真理としての「 神の存在 (の仮説 )

 

 「 神を見たことがない 」「 神の声を聞いたことがない 」は神が存在しないことを意味するのか。

 存在は証明できないが、存在しないことも証明できない。

  わからない( 不可知論 )ので、神の存在も不在も「 仮説 」となる。

 

 (  以下作品についてネタばれあり )

 『 沈黙 』は江戸時代の苛烈な迫害に合うキリシタンたちと、屈してしまう「 転びバテレン 」の話。

遠藤周作は、踏み絵に残る足形を見て、踏んだ者の足の痛みを書くことにした。

 

 「 こんなに迫害されてるのに、どうしてお救いくださらないのか ? 」

 それは神が存在しないからなのか、神の沈黙ならなぜ傍観するのか。

 主人公は人の痛みを引き受け寄り添う神の存在を感じて、踏み絵を踏む。

 

 この作品は高い文学的評価を受けた一方、棄教する男に寄り添う神の描写は、クリスチャンの間で激しい論争を巻き起こし、遠藤周作は多くの友人を失いました。

 世界的にも同じカトリック作家のグレアム・グリーン( 『 第三の男 』などから強い支持を受け、ノーベル文学賞も取りざたされましたが、激しい反発、批判も受けました。

 

 僕には遠藤周作が描く神が存在するのか、キリスト教の教えとして正しいか、はわかりません。

 ただ、私たちは時として現実の中に欺瞞・虚偽を見時として虚構の中に仮託された真実を見ることがあります。

僕は遠藤周作の作品の中に、神が宿り、人間とは何かという問いを感じるのです。

『 沈黙 』は1971年・篠田正浩監督、2016年・マーティン・スコセッシ監督で映画化されています。

              

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戦後、こころの焼け野原に神を想った作家。その1 から見る

戦後、こころの焼け野原に神を想った作家。その2 を見る。

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