女優 製作者 両方の分野のレジェンド ルシル・ボール
女性映画人 その1 ルシル・ボール( 1911 ~ 1989 )
ルシル・ボールと言うと『 アイ・ラブ・ルーシー 』『 ルーシー・ショー 』の主演。
『 奥様は魔女 』などより以前のアメリカのテレビ初期のシットコムで、日本でも昭和30年代後半の放送。 観ていた僕の世代でも“いにしえ” の話ではあります。
4歳の時に実父が死亡。 母が再婚して、仕事のために両親とも不在のため同居した義理の祖父母は厳格なピューリタンで、浴室以外は鏡を置かず華美を許さない禁欲的な家庭環境。
母娘は反発してか、15歳で彼女は演劇学校へ。 同級生がベティ・デイヴィス。
1929年大恐慌の年18歳でキャリアをスタート。
1932年端役で映画初出演。 RKOと契約。 A級作品でわき役、B級作品でわき役、ラジオやボードビル・ショーに出演。
1940年代MGMへ移籍するが、きら星のごとくスターがいる中では二番手、三番手の存在。
1942年出演映画の役柄でそれまでブルーネットだった髪を真っ赤に染め、以降それが彼女のトレードマークとなりました。
身長168cm。 イングリッド・バーグマンやキャサリン・ヘップバーンのほうが長身ですが、目や口が大きい顔立ちと真っ赤なヘアで大きく見えます。
1948年開始のラジオドラマ“ My Favorite Husband “が人気となり、CBSはテレビ化をオファー。 彼女は当時の夫デジ・アーナスとの共演を条件に出すが、CBS側は難色を示しました。
デジ・アーナスはキューバ出身のミュージシャン・俳優で、1940年ルシル29歳 デジ23歳 駆け落ちで結婚。
当時は女性が6歳も年上のカップルは体裁が悪いとされていて、数年間は公式には同い年ということにしていました。
もう一つは赤毛のアメリカ人とスペイン語なまりの英語を話すキューバ人の夫婦は視聴者に受けいれないだろう、というのがCBSの判断。
二人はひな形となる設定のボードビル・ショーでツアー公演を成功させ疑念を払しょく。
当時のアメリカのテレビ番組は東部標準時と中部標準時は生放送、西部標準時はキネスコープフィルムというあまり画質のよくない録画でした。
夫妻は35ミリの映画用カメラを使い、それまでの1台から3台( 近・中・遠 )での撮影を主張。
費用がかさむことから渋るCBSとスポンサーにギャラの引き下げを申し出、そのかわり制作を夫妻が中心に行うこと、再放送権を夫妻のものにすることを認めさせた。
( 当時は着目されてなかったが、再放送権料は莫大な利益をもたらした。 )
1950年夫妻はテレビ制作会社デジル・プロダクションを設立。
ハリウッドでスタジオを借り、観客を入れての収録というシットコム収録のプロトタイプを作りました。 「 アイ・ラブ・ルーシー 」は1951年10月放送開始。
ルシル・ボールは放送開始3か月前当時としては高齢の39歳で第一子・男子を出産。
1952年第2子を妊娠。 当時の保守的な価値観では、テレビに妊婦が出演すること、pregnant という言葉を使うことすらもはばかられていた( 言い換えはexpecting )そうです。
演者の実際そのままのルーシーの妊娠・出産は全米で話題持ちきりとなり、1953年1月19日赤ちゃんお披露目の回の視聴率は、同じ日に行われたアイゼンハワー大統領就任式を大きく上回ったそうです。
デジル・プロダクションは 「 アイ・ラブ・ルーシー 」以外に、伝説となったいくつかのテレビドラマを制作しています。
「 アンタッチャブル 」( アメリカでは1959 ~ 1963、 日本で1961~)
禁酒法時代の司法省酒類取締局 ( 日本吹替版では何のことかピンとこないのでFBIという設定 )の活躍を描く。
主任エリオット・ネス役はロバート・スタック( 日下武史 )
1987年映画化 監督ブライアン・デ・パルマ
エリオット・ネス役はケビン・コスナー ショーン・コネリーがアカデミー助演男優賞受賞。 アル・カポネにロバート・デ・ニーロ

1960年 夫妻は離婚。
デジル・プロダクションの夫の取り分を買い取り、ルシル・ボールは全米業界初( おそらく世界初 )のテレビ制作会社の女性社長となります。
「 スター・トレック 」(TOS The Original Series アメリカでは1966~1969 ) 日本では「 宇宙大作戦 」のタイトルで1969年~ )
クリエイターはジーン・ロッテンベリですが、デジル・プロダクションが製作を担わなければネットワークで放送されませんでした。
カーク船長 ウィリアム・シャトナー( 矢島正明 ) ミスター・スポック( 久松保夫 )
ウーピー・ゴールドバーグが俳優を志したきっかけの一つは、同じアフリカ系の女優ニシェル・ニコ
ルズがテレビドラマに出ているのを見て勇気づけられたからと言います。


スター・トレックはその後 8本のテレビ・シリーズ 3本のアニメ・シリーズ 13本の映画 と
一つの作品世界を築いています。

「 スパイ大作戦 」( アメリカでは1966 ~1973 日本では1967~ )
第2シーズンからピーター・グレイブス( 若山弦蔵 )が2代目リーダージム・フェルプスを演じるようになって人気がでました。
変装の名人ローラン・ハンド役はマーティン・ランド― ( 納谷悟朗 )

オリジナル・タイトルは Mission Impossible
トム・クルーズ主演でシリーズ映画化の邦題は『 ミッション・インポッシブル 』

ちなみに1950年代は赤狩りの時代。
ルシル・ボールは1936年有権者登録で所属政党を共産党とし、また自宅を集会場に使わせていました。 祖父と母が支持者だったため。
1953年HUACの調査官に自主的に会い釈明し、ブラックリストを免れました。
デジ・アーナスは収録の前説で「 ルーシーの赤いのは髪だけで、それも本物じゃない 」とジョークを流したそうです。
1989年3月第61回アカデミー賞( 作品賞は『 レインマン 』)授賞式にルシル・ボールはボブ・ホープとともにプレゼンターとして登壇。
万雷の拍手によるオール・スタンディング・オベイションが印象に残っています。
ご両人ともレジェンドなので当然なのですが、1か月後に大動脈瘤破裂で急死するとは思いも寄らない、堂々たる貫禄の姿でした。
訃報が伝わると、表に出る女優としてだけでなく、裏方の製作者両面でのレジェンドである彼女に対しその功績を称える賛辞が多く寄せられました。

