おずおずと小津を語る その3
日本映画が最初に国際的に知られるようになったのは1950年黒澤明『 羅生門 』。
溝口健二、成瀬巳喜男、市川崑、大島渚あるいはゴジラなどがそれに続きました。
生前小津が海外で評価されたのは『 東京物語 』が1958年ロンドン映画蔡で受けたサザーランド賞のみ。 独創的で創造性に富んだ監督に贈られるということで小津は喜んだが、「 自分には飾っておく趣味はない 」と撮影所スタッフ・キャストの麻雀大会にトロフィーを供出しています。
海外での評価が遅れたのは、小津作品はとても日本的で外国人にはわからないだろうという思い込みが日本で強く、紹介に消極的だったからでしょう。
外国人に小津はわからないのか。
いや評論で言えばドナルド・リチーなど早くから評価してますし、ヴィム・ヴェンダースは心酔し、厚田雄春。笠智衆らに取材したオマージュ・ドキュメンタリー『 東京画 』( 1985)を撮ってます。
他にもポール・シュレーダー、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)、エドワード・ヤン、アッバス・キアロスタミらが賞賛しています。
先述のとおり、オールタイムベストで1位を獲得するなど国際的評価も高い。
では日本人ならわかるのか。
世代も世相も違い、価値観たとえば結婚や家事などのジェンダーギャップを指摘されれる今とあまりに違うし、テンポも人との距離感も生理的に違う現代日本人のほうが、むしろどこか外国映画のように感じるかもしれない。
リアルタイムで小津を観てきた佐藤忠男氏は「 小津はある時期忘れられた過去の存在だった 」説を否定してますが、ぼくは個人的実感としてわかる見方です。
1970年代が僕が一番映画を観ていた時期、邦画の黄金期は遠い過去で、撮影所システムの崩壊した斜陽期以後しか知らない。
黒澤明、木下恵介ら巨匠も新作を撮れてないし、レンタル・ビデオもまだない時代。 名画座で観ていたのも圧倒的に洋画で、有名な『 東京物語 』『 晩春 』くらいしか機会がなく小津はよく知りませんでした。
小津安二郎は明治生まれで東京オリンピック・新幹線開通の前の年に亡くなっていて、昭和31年生まれの僕でさえ祖父の世代。
20歳代の若い男子の僕も観ればいいなとは思いましたが、黒澤や溝口のほうがなじみやすかった。
小津の良さがわかり作品を観るようになったのは、1980年代以降観る機会が増え、それにつれて再評価が広がり、自分も年齢を重ねていったからでしょうか。
それでも小津作品を観ていて、ある種の違和感、ぎこちなさを感じます。
あまりに今と違うので、外国映画、別世界のようです。
では海外の小津ファンたちは異文化である日本の特異性・エキゾチシズムに惹かれているのだろうか。 そうではなく異文化の中に人としての普遍性を見出してるのだと思う。
同様に現代日本人にとっても、価値観が違い異質な過去であってもなお、時代を超えた普遍性を感じさせ得るのではないでしょうか。
そして僕はやはり日本人の心の古層を感じます。
その4に続く>>