悶え神 と呼ばれる人
映画『 MINAMATA 』のモチーフとなった一枚の写真 からつづく
さて、映画『 MINAMATA 』がその人にとって水俣問題を知る唯一の映画だったら、残念でさびしいこと。
ホロコーストは『 シンドラーのリスト 』1本では語れないように。
このジャンルに『 アンネの日記 』『 ファニア歌いなさい 』『 ソフィーの選択 』『 夜と霧 』などいろんな作品があるように、映画、小説やノンフィクション、シンポジウムやティーチ・インなどいろんな水俣病への関心への入り口があっていい。
軽薄な興味では、感動ポルノという批判を受けるかもしれない。
ただ僕自身で言えば、自信のなさから委縮し、身構えて自分からハードルを上げて、無知無関心の安寧に逃げ込む悪循環だけはやめておこうと思います。
MINAMATA 』を観た後、原一男監督作品『 水俣曼荼羅 』を観る機会がありました。
『
第一部「 病像論を糾す 」第二部「 時の堆積 」第三部「 悶え神 」の三部構成。 京都シネマでの6時間12分の一挙上映。
まさに格闘と言える作品鑑賞でしたが、「 いかにもしんどい映画という感じなので、そのつもりで観に行ったのだが、意外や楽しい映画であることに驚いた 」と佐藤忠男さんも書くように( ※ )、疲労感より、見ごたえのある映画を堪能した思いが上回った。
( ※ ) 「 水俣曼荼羅製作ノート 」原一男 + 疾走プロダクション・著 皓星社 より )
『 ゆきゆきて神軍 』で知られる原一男らしい重喜劇的作風というか、緊張と緩和があって、重苦しさに押しつぶされず、生命感を持った人間描写に舌を巻くドキュメンタリー映画でした。
水俣病問題は重くつらい話題で、避けられタブーとなって忘れられ、若い世代にはまったく知らない人も多いのが実情。
水俣病問題を知らしめた「 苦海浄土(くがいじょうど)~(副題)わが水俣病 」も、その著者石牟礼道子さんのこともそうかもしれない。
『 水俣曼荼羅 』第三部「 悶え神 」にはその石牟礼道子さんも登場する。
テレビなどの露出の少ない方なので驚きました。
石牟礼道子さんは長崎県天草に生まれ、3歳の時に水俣へ移住。
もともと学者でも、政治活動家でも、ジャーナリストでもなく、地元で暮らす生活者で、文学サークルに参加しるものの一介の主婦でした。
長男が入院した病院で水俣病患者のことを知り、患者支援の市民団体を立ち上げ、多くの著作によって患者たちの苦悩を訴えてきました。 彼女なくして水俣病は語れません。
ただ、「 苦海浄土(くがいじょうど) わが水俣病 」(新装版)」のあとがきで、当時の編集者で作家の渡辺京二さんは当時を振りかえって以下のような苦言を述べている。
表層的な社会的流行と結びつけられて、公害告発や被害者の怨念の代弁者という観念に色付けされた粗雑な要約をされ、彼女とその著作はネガティブなイメージをまとわされてしまった、と。
その石牟礼道子さんと渡辺京二さんは『 水俣曼荼羅 』第三部「 悶え神 」に登場。
晩年を過ごした介護付き老人施設で原一男監督のインタビューに答えているが、映像への露出はまれなので、驚きました。
石牟礼さんが、いっしょに心配してくれる人、苦しんでいる人の背中を、魂をなでてくれる人のことを何と呼ぶか、 悶え神 と言うんだと思い出すと、
傍らにした渡辺さんが、なにも助けられる力はないが、せめて嘆き苦しみをともにし、悶える人がいる、そういう人を悶え神と言うんだ、と補足。
石牟礼さんのような人のことを言うのだ、と示唆しています。
さて、カライモブックスという古本屋さんがあります。
奥田直美さん、奥田順平さん、40歳代のご夫婦で経営されてます。
京都新聞記載の直美さんのコラムは拝読してましたが、店舗にうかがって順平さんから本とコーヒー豆を買ったのは、今年になってからの2回だけのにわかなので、ご紹介するのは恐縮ではあります。
お二人の書かれたエッセー集、「 さみしさは彼方 」によると、直美さんは18歳の時、生きづらい思いを文賞に託した石牟礼道子の文学と出会い、人生のよりどころとしてきた、とのことです。
順平さんも直美さんと交際を始めた時、「 苦海浄土 ~(副題)わたしの水俣病 」を借りて感銘を受けた。
翌年からお二人で何度も生誕の地・天草と水俣を訪れるなど、言わば石牟礼道子・推しになり、直美さんが出版社を退職した後、カライモ・ブックスをオープン。
カライモは南九州でサツマイモのことで、順平さんが命名。
古本だけでなく新本も扱っていて、石牟礼道子、水俣問題の書籍は店の柱だが、他に原爆、原発、ジェンダー、子育て、社会科学、文学、哲学など多岐にわたる内容の本が住居の奥の部屋いっぱいに並んでいました。
左翼・リベラルの本ばかりと偏見のあるレッテルを貼るのは容易ですが、むしろお二人が生まれる前、僕の高校・大学時代の本屋や先生、先輩の書棚に通じるものがある。
住居を兼ねた店の雰囲気もあまり商売気を感じなくて(失礼),京都の昔からのリベラルアーツ文化の流れに久々に触れるようで、なつかしくもあり、新鮮でもある。
2011年福島原発事故、そのこと自体のこわさも無論ながら、報道の中で石牟礼道子さんや水俣問題が、正義の衣をまとい、言葉として一人歩きして引用されることに違和感を感じたそうです。
もやもやした思いを抱えて初めてようやく会ったとき、石牟礼さんは順平さんに作家としてや環境活動家としての助言で接しなかった。
お二人は支援者でも研究者でもなく、石牟礼さんも作家であり活動はしてきたが、それは彼女の一面であって、役柄を演じるのではなく肉声で返されたのでしょう。
人は思いにこだわりたいが、とらわれたくないもの。
文学の紡ぎ出された言葉にこだわり感銘を受けるからこそ、言葉をただなぞること、イメージにとらわれて、らしさを演ずることを良しとされなかったのではないでしょうか。
さてカライモブックスはネット販売もされてますが、京都市上京区の実店舗は先月いっぱいで閉め、今月水俣市の故・石牟礼道子さんの旧宅に転居。
この夏そこを拠点に古書店再開を考えておられます
にわかな客の一人ですが、お二人の今後にささやかなエールを送ります。
エッセイ集「 さみしさは彼方 」( 岩波書店 )に興味を持たれた方はこちら
カライモブックスさんのサイトはこちら