名優マイケル・ケインの引退<後編>
父親は教育を受けてなくて肉体労働しか仕事がなく、生涯市場の魚運搬の仕事をしていた。 兵役ではダンケルク、エジプトのエル・アラメイン、ローマ解放と歴戦を生き抜いた。 だが56歳で亡くなったときの全財産はわずか3シリング8ペンス。 ワーキング・クラスの悲哀。
その時マイケル・ケインは、自分で身を立てて二度と家族に貧しい思いをさせまいと心に刻んだ。
下済みを経て、苦労してスターになってオーディションをする必要がなくなっても、ハングリーですね。 基本、来た仕事は断らない。
そのため新聞にマイケル・ケインの出演作ワースト16本という特集が組まれるくらい失敗作にも多く出演。 (笑)
有名なところでは、『 ハンナとその姉妹 』(1986)で1度目のアカデミー助演男優賞を獲った時、『 ジョーズ4 復讐編 』(1987)の撮影中だったため、授賞式には出席しなかった。
この件は格好のネタとなり、ゴールデンラズベリー賞のワースト助演男優賞にノミネートされるし、以降のアカデミー賞授賞式に出席した際などで、たびたびいじられることとなりました。
ご本人は『 ジョーズ4 復讐編 』は観たことはなく、またいじられても、そのギャラ( 10日の撮影で150万ドルだそう )で母親のために家を買うことができて満足だそうです。 (笑)
もっとも断って失敗した例もあって、ヒッチコックから『 フレンジー 』( 1972 )への出演依頼が来たが、残忍な犯人役だったので断ったところ、以降あいさつしようとしても無視されるようになってしまった。
意外なのはアクションもやり運動神経は悪くないようだけど、乗馬シーンの撮影では落馬を繰り返し、アクアラングは若い時に器具の故障で失神したのがトラウマで苦手、運転免許を取ったのは50歳を過ぎてから。
ゴルフはあまりにヘタなので、親友の映画スターたちとの友情を続けるには、やめるしかなかった。 (笑)
意外な交友は、シカゴ生まれで今も現役の作曲家・音楽プロデューサーとは生年月日が同じで、暦の上の双子だとして、60歳と80歳には共同で盛大な誕生パーティーをやっていること。
60歳を過ぎて仕事のオファーがなくなってきて引退を考えたとき、説得し思いとどまらせた親友のハリウッド・スター。
70歳を過ぎて常連出演者となったクリストファー・ノーランとの出会い。
『 ダークナイト・ビギニング 』で執事役を依頼されたが、ワーキング・クラス出身だからこそ気乗りしなかったのを翻意させたノーランとのいきさつと感謝の言葉が述べられる。
演じてよかった執事アルフレッド・ペニーワース役の締めくくり『 ダークナイト・ライジング 』
このようなエピソード満載で「 わが人生 ( 副題 名優マイケル・ケインによる最上の人生指南書)」( 太田黒奉之・訳 集英社 )は読みごたえのある自伝エッセイでした。
マイケル・ケインご本人がお気に入りの出演作には
『 探偵 スルース 』 ( 1972 )
『 王になろうとした男 』 (1975)
『 リタと大学教授 』(1983)
などがあります。
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示マイケル・ケインは私も好きな役者さんです。何が最初だったか忘れましたが印象に残っているのはテレビの洋画劇場で観た『燃える戦場』でしょうか。高倉健との共演で有名ですね。(健さんも日本軍将校役でカッコよかった。確か和田誠さんの「お楽しみはこれからだ」でも「戦死しても棺に勲章の重みが加わるだけだ。」なんて台詞で隠れている英兵に投降するよう脅しをかける場面が紹介されてました。)
『探偵/スルース』も洋画劇場で観た記憶があります。大御所、”サー”ローレンス・オリヴィエとの演技合戦が手に汗握るという感じで面白かったです。のちに彼の役柄をクリストファー・リーブが演じ、オリヴィエの役を自らが演じたリメイクもありました。
何だかノーブルな雰囲気があるのでアッパー・クラスの出身かと思ってたのですが、ワーキング・クラスの出自で頑張って親にも孝行してたというあたりは、より好感を持ってしまいます。引退は残念ですが、まだ未見の作品もあるので探してみます。
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示ジョーズ復讐編見た時は、なんでこんな映画に、マイケル・ケイン⁉️とも思いましたが、彼のおかげで、幾分映画の格が上がったのも事実で、彼も親孝行出来たなら良かったですね(>ᴗ<)
『探偵/スルース』大好きです