名優マイケル・ケインの引退<前編>
昨年2023年10月、マイケル・ケイン(投稿時90歳)が俳優業からの引退を表明しました。
すでに引退を表明しているジーン・ハックマン、ロバート・レッドフォード、事実上の引退のジャック・ニコルソンとともにオールド・ファンとしては寂しい限りです。
もっとも若いころは嫌いな俳優でした。 どこか目が笑っていないように思えて印象が悪く、『 殺しのドレス 』(1980)など苦手でした。
印象が決定的に変わって良くなったのは『 ハンナとその姉妹 』(1986)
それ以降それまで避けていた古い作品を観ていきファンとなりました。
とは言え『 鷲は舞いおりた 』(1976)や『 遠すぎた橋 』(1977)は好きな映画でしたので、自覚がないまま好印象がしだいに偏見を解いていたのでしょう。
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さて最近読んだ自伝的エッセイ「 わが人生 ( 副題 名優マイケル・ケインによる最上の人生指南書)」( 太田黒奉之・訳 集英社 )を読んで、彼の足跡を知ることとなりました。
冒頭で強調されるのが、ワーキング・クラス出身という生い立ち。 その後の人生を見ても苦労人なんですね。 その文章からは率直でひたむきな人柄が伝わります。
ロンドンの貧しい地区に生まれ、幼いころは貧困による栄養不足から骨が弱くなるくる病を患っていた。
6歳のとき第二次世界大戦勃発。 最初の疎開先は劣悪だったが、連れ戻した母と弟とともに疎開した田舎暮らしでむしろ食生活は豊かになり、戦争が終わるころにはやせてはいたが180センチを超す長身となった。
マイケルはその地区で初めて奨学金を得られて、グラマースクール(中学)を卒業。
18歳で召集され、西ドイツさらに韓国に送られ朝鮮戦争では前線に立つ。
にんにくの匂いは敵の中国兵がすぐそばということなので、帰還後も長い間トラウマとなる。
帰国後はさまざかな職業を転々、俳優になりたかったがなる方法がわからなかった。
ある時職場の先輩から、雑誌の劇団員募集の広告に応募したらいいと教えられ、そこからたたき上げの俳優人生が始まった。
最初の9年ほどは、売れずに食えないから痩せているという隠語であるアクターズ・ダイエットのとおり、最初の結婚がうまくいかなかった理由の一つで、また離婚後も子どもの養育費に苦労するなど忸怩たる思いをしてきた。
いろんなバイトをしながら舞台を中心にキャリアを積み、ピーター・オトゥールが『 アラビアのロレンス 』の撮影で抜けた際は舞台代役を務めたりしていた。
転機となったのは『 ズール戦争 』(1964)への出演。
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1878年南アフリカでのイギリス軍と現地民ズール族との激戦ロルクズ・ドリフトの戦いを描く作品で、製作と主演のスタンリー・ベイカーからコックニーなまりの反抗的な兵士役の面接を受けるよう声を掛けられた。
が、行くと監督のサイ・エンドフィールドからはすでに他の俳優に決めてしまったと謝られた。
落胆して帰ろうとすると、貴族出身の指揮官役のカメラテストを受けるよう言われ、結果は本人も監督も最悪の出来という評価だったが、監督はひらめきを感じて準主役に大抜擢してくれた。 監督は赤狩りから逃れていたアメリカ人で、ワーキング・クラス出身のマイケルに貴族の役などと、当人も含めて思いもしないイギリス人の階級意識とは無縁だった。
映画はイギリスで大ヒット。 公開後レストランで友人のテレンス・スタンプと食事していると、別の席にいた映画製作者のハリー・サルツマンから一緒にコーヒーでもどうかとメモが回ってきた。
007シリーズの共同製作者なので、何か役でももらえるかと思って行くと、今度レイ・デイトンのスパイ小説を映画化すると言う。
主人公のハリー・パーマーは華麗なジェームス・ボンドとは対照的に、危険な汚れ仕事を押し付けられるワーキングクラスのスパイで、眼鏡をかけて風采もパッとしないが、クールでシニカル、したたかな食えない男。
、『 ズール戦争 』を観たばかりで、家族ともマイケルは大スターになると意見が一致し、パーマー役を任せたいと7年契約をオファーされた。
ハリー・パーマー・シリーズは『 国際諜報局 』(1965)など計3本が作られ、人気スターの仲間入り。
生意気でいいかげんだが魅力的な、ワーキング・クラス出のイマドキのプレイボーイ『 アルフィー 』(1966)
舞台版のオーディションには落ちていたが、映画化にあたりブロードウェイ公演を務めたテレンス・スタンプを含め6人に断られ、主役選びは難航。
製作・監督のルイス・ギルバートはマイケルの友人である息子からの提案を受けて決定。
映画は全米でもヒットし、マイケル・ケインはアカデミー賞主演男優に初ノミネート。 初めてハリウッドを訪れた。( ジョン・ウエインと遭遇 )
バート・バカラック作曲の主題歌は映画音楽の定番ですね。
2004年には、ジュード・ロウ主演で再映画化されています。
( 後編に続く )