クエーカーとハリウッドの赤狩り
クエーカー( 教、派 )はキリスト教プロテスタントで、また歴史的平和教会の一宗派。
非戦・平和主義を強く唱えることで知られます。
知ったきっかけは、テレビで観た『 真昼の決闘 』と『 友情ある説得 』からでした。 たぶん昭和40年代前半 中学生の頃だったと思います。
『 真昼の決闘 』(1952年 監督 フレッド・ジンネマン )は、かつて逮捕した殺人者たちが仕返しに来るのに住人たちは誰も協力せず、孤立した保安官( ゲイリー・クーパー )の苦悩を描く話。
保安官の新妻( グレース・ケリー )がクエーカーで、クライマックスでの彼女が、理不尽な暴力がもたらす痛みをよく表していました。
クエーカーは17世紀清教徒革命のころのイギリスが発祥で、その後アメリカにも伝わり、この2か国が中心。
ペンシルバニア州はクエーカーのウィリアム・ペンが植民したのがその名の由来で「 ペンの森 」の意。
フィラデルフィアは古代ギリシャ語で「 兄弟愛の都 」の意。
フィラデルフィアは独立戦争後ワシントンDCがつくられるまでの10年間アメリカの首都だった時期があり、クエーカーは信者の数では少数派ですがアメリカの本流にいる存在感があります。
平等主義で奴隷制度に反対し、非暴力主義の考えから戦災者支援や兵役拒否を行ってきました。 一方、禁酒法を強く支持した一面もある。
国からの弾圧や社会的迫害を受けた歴史がありますが、アメリカではクエーカーをはじめ歴史的平和教会の信者は、第二次世界大戦中に12000人が信仰による良心的兵役拒否を行い認められたという。 ( ウィキペディア「 良心的兵役拒否 」の項 他 )
( ただし却下されて脱走を試み銃殺となったケースもある )
これらの活動が評価されて、アメリカ・イギリス両国のフレンズ奉仕団(クエーカー教会が母体)は1947年度ノーベル平和賞受賞。
日本人のクエーカーには新渡戸稲造がいます。
クエーカーの家庭で育った( 成人後の本人の信仰の度合いはわからないですが )映画人というと
たとえば、デヴィッド・リーン。
代表作は 『 戦場にかける橋 』
『 アラビアのロレンス 』
他に『 逢びき 』『 旅情 』『 ドクトル・ジバゴ 』『 ライアンの娘 』などなど
言うまでもなく大巨匠です、
たとえば、ジェームズ・ディーン
父親は祖先がメイフラワー号でアメリカに来た家系、母方の祖母はインディアンの家系。
ゆきずりの関係での婚前妊娠。 父親は望まない結婚・望まない子どもだったのでジミーは幼少期から顧みられず無視されたという。 愛してくれた母親は9歳の時卵巣がんで死亡。
父親は自分の姉夫婦にジミーを預けたが、その姉夫婦がクエーカー。
愛してくれない父親との確執。 うーん、『 エデンの東 』そのままですね。
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『 友情ある説得 』( 1956年 監督 ウィリアム・ワイラー )は
南北戦争時、信仰に基づく平和な暮らしを過ごすクエーカーの村に敵の南軍が迫り、戦争に巻き込まれる。 非暴力の信念は過酷な現実に揺さぶられる、
クエーカーの家族の父親がゲイリー・クーパー。 母親がドロシー・マクガイア。
原作の小説が発表されたのは第二次世界大戦が終わった年の1945年。
映画の制作には8年かかっている。
当初はフランク・キャプラが監督する企画だったが、脚本のマイケル・ウィルソンが赤狩りでブラックリスト入りして中断。 キャプラは降板。
ウィリアム・ワイラーが引き継ぎ、脚本のマイケル・ウィルソンは『 ローマの休日 』のダルトン・トランボと同様に・公開当時クレジットなし( 1996年にようやくクレジット )
そして原作者ジェサミン・ウエストの母方のまたいとこがリチャード・ニクソン。
彼女は子供の頃、日曜学校でニクソンの父親フランクからクエーカーの教えを学んだそうです。
リチャード・ニクソン
母親が熱心なクエーカーで、父親はメソジストだったが結婚後に改宗。
両親ともにアイルランド系。5人兄弟の次男だったが長男と四男が小児結核で医療費が家計を圧迫、家は貧しかった。 のちに二人共若くして亡くなり彼は神の存在を疑ったという。
苦学して勉学に励み、ハーバード大学の奨学金のオファーを受けるが、病人のいる家庭の事情もあり、地元カリフォルニアのクエーカー系の大学に進学。
卒業後奨学金を得てロースクールに進み。カリフォルニア州の弁護士資格を獲得。
東部の法律事務所にコネはなく、FBIも採用されず、地元で弁護士に。
真珠湾攻撃でアメリカは第二次世界大戦に参戦。
良心的徴兵拒否を選択せず、1942年海軍に志願。
政府期間で働いた経歴があるためか、あるいはクエーカーであることを配慮されたか、戦闘員には配属されず、補給士官に。 南太平洋戦線に送られ日本軍による爆撃も経験。
戦争が終わり、ペプシコーラの弁護士に。
1946年下院議員に出馬し当選。34歳。 のちに1960年大統領選挙を争うJFKと同期。 何かと比較される対照的な両者、しかし意外に共通点も多い点に驚かされます。
下院非米活動委員会(HUAC)のメンバーとなり、ソ連のスパイだった当時の政府高官アルジャー・ヒスを追い詰めるなど反共の闘士として注目される。
またハリウッドの赤狩りを考える時 カリフォルニアを政治基盤とするニクソンとウォルト・ディズニーら有力な支持者との強い結びつきが指摘されます。
1950年上院議員 37歳
1952年アイゼンハワーに指名され副大統領候補となり当選。40歳。
政界入りしてわずか6年のスピード出世。
赤狩りはマッカーシズムとも呼ばれますが、ジョゼフ・マッカーシーは体制側からも不興を買い、1954年上院でけん責処分決議が採択され失脚。
下院非米活動委員会(HUAC)の権威は失墜、猛威を振るった赤狩りは下火になっていき、もたらした災禍は、1957年にマッカーシーが亡くなると、その罪と責任を一身に追わせて急速にうやむやにされていく。
一方ニクソンは1956年副大統領に再選。 赤狩り推進派のラスボスですね。
『 友情ある説得 』の公開は再選直後。 ( 私事ですがこのころ僕は生まれました。)
翌年5月カンヌ国際映画祭でパルムドール受賞。
1960年激戦の大統領選挙はJFKが僅差で勝利。
1962年カリフォルニア州知事選挙に大差で敗れ落選、政界引退をほのめかすが、
ベトナム戦争の泥沼化を受けて1968年ジョンソン大統領が再選不出馬を表明。
有力視されたロバート・ケネディが暗殺され、民主党は分裂。
大統領選挙に僅差で勝利。 1期目の途中でウォーターゲート事件が露見するものの1972年圧勝で再選。
しかしスキャンダルは収まらず、弾劾の可能性が強まり辞任に追い込まれた。
批判は根強いものの、外交政策などその業績を高く評価する声も多い。
リチャード・ニクソンに関する映画には
『 大統領の陰謀 』( 1976年 監督 アラン・J・パクラ )
ウォーターゲート事件を報道したワシントン・ポスト紙を描く
ニクソンはニュース映像のみ
『 ニクソン 』( 1995年 監督 オリバー・ストーン )
ニクソンを演じたのはアンソニー・ホプキンス
『 フロスト × ニクソン 』( 2008年 監督 ロン・ハワード )
ニクソンを演じたのフランク・ランジェラ
『 ウォッチメン 』( 2009年 監督 ザック・スナイダー )
DCコミックスの映画化 アメリカがベトナム戦争に勝利し、ニクソンは大統領を・・・
などがあります。