津野海太郎・著「 ジェローム・ロビンスが死んだ 」
2020年11月 NHK・Eテレ「 SWITCHインタビュー 達人達 」を観ていて、スタジオ・ジブリの鈴木敏夫氏の対談相手、とても知的でお話に引きこまれるこのご老人、失礼ながらまったく存じ上げなかったので、誰だろうと思いました。
津野海太郎( つの かいたろう )氏
調べてみると、晶文社の元編集者で雑誌「 WonderLand 」の編集長で植草甚一を世に出した人。
同時に劇団「 黒テント 」の演出家として活動し、投稿時の現在85歳で現役の評論家。 ひえー、日本のサブカルの中心にいた人じゃないですか。 知らなかった。
それから何冊か氏の著作を読みましたが、おもしろい。
その中で出会った一冊が「 ジェローム・ロビンスが死んだ 」( 小学館文庫 )
副題に「 なぜ彼は密告者になったのか ? 」とある。
とても興味を惹かれ、一気に読みました。
ジェローム・ロビンス ( 1918 ~ 1998 )
ブロードウエイ・ミュージカルの振付師・演出家として「 オン・ザ・タウン 」「 ピーターパン 」「 王様と私 」「 パジャマ・ゲーム 」「 ウエスト・サイド物語 」
「 ジプシー 」「 屋根の上のバイオリン弾き 」などを成功させ、トニー賞5回に輝くレジェンド。
映画でも『 ウエスト・サイド物語 』をロバート・ワイズと共同監督。
( ジョージ・チャキリスの脚を高く上げるあの振付をした人! )
ただし指導に熱が入るあまり撮影日程が大幅に遅れたため、途中で解雇。リタ・モレノらキャストらが抗議するが、撤回されず撮影は続行。
でも完成した映画は大ヒットし、アカデミー賞では作品賞をはじめ彼も監督賞と名誉賞を受賞。
そのレジェンド・ジェローム・ロビンスは1998年7月29日に亡くなった。( 今年没後25年ですね。 )
その訃報記事で津野さんは、ロビンスが一時期共産党員で赤狩りの標的となりかつての仲間8人を名指しした密告者だったことと知り、驚く。
どういうことだったのか調べ、同著を書き上げた。
津野さんは1951年中学生の時に日本公開となった『 踊る大紐育 』(原題 ON THE TOWN )に魅了され、その後7,8回は観た青春の一本となった。
戦後の焼け跡が残り貧しかった当時の日本の中学生には、その底抜けの幸福感の輝きに満ちた作品はまぶしく、その後もハリウッド製ミュージカル映画の熱心なファンとなった。
でも20代に入って『 ウエスト・サイド物語 』を観た時、シャープな社会性のある作品にミュージカルの新時代を認めつつも、熱は冷めてしまって以降のミュージカル映画は観なくなった・・・・と正直に書いています。
その後いつのまにかジェローム・ロビンスの名前は津野さんの知識の中に入っていて、あの『 踊る大紐育 』の原案のブロードウエイの舞台を作ったのが彼だったこと、舞台と映画はまったく違うこと、を知り、そして彼の死後赤狩りとの関りを知って、『 踊る大紐育 』の底抜けの幸福感と思えたものの底に、別のもう一つの底が存在しているのを感じ、津野さんは調べ始めた。
( ジェローム・ロビンスはレナード・バーンスタインとバレエ「 ファンシー・フリー 」を作り、それがミュージカル「 オン・ザ・タウン 」に発展、映画化された『 踊る大紐育 』は大幅に改変された。 )
ジェローム・ロビンスはユダヤ系移民の二世。
1930年代ニューディールのリベラルな時代精神の中、新たな舞台活動の流れで一時共産党に入党した時期があり、戦後急速な保守化の中赤狩りの標的となった。
そして彼は同性愛者( バイ・セクシャルとも )であり、ユダヤ、元共産党員、同性愛者と、時代の逆風にさらされた三重のマイノリティだったのです。
ジェローム・ロビンス栄光と裏切りの苦悩の生涯が軸となりますが、彼と関り、また同時代を生きた人々の顔ぶれ、そのエピソードが興味深い。
レナード・バーンスタイン、ダニー・ケイ、ゼロ・モステル、シド・チャリシ―、ジェームス・キャグニー、ジョン・ガーフィールド、ジョージ・アボット、クルト・ワイル、ヴェラ・エレン、アーサー・フリード、ジュディ・ホリディ、ジュールス・ダッシン、エド・サリヴァン、ヘッダ・ホッパー、ハンフリー・ボガート、モンゴメリー・クリフト・・・そしてジーン・ケリー などなど。
同書は20世紀のアメリカの演劇・映画・芸能・音楽の歴史を堪能できる名著です.
( 平成二十年度芸術選奨・文部科学大臣賞受賞 )
文庫本なのでお値段も手頃で読める、強力おススメの一冊です。
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