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LOQ
2024/04/05 17:13

複眼の視点で語られた原爆の世界史の映画

 

『 オッペンハイマー 』がハリウッドで作られたからと言って、アメリカの視点で作られた映画ではありません

 

それどころか、どこかの国や民族や政治的立場で語ることによって、アイデンティ・ポリテイクスの論争に絡み取られないよう、細心の注意と工夫がなされています。

 

「 アメリカの言い分を、日本人としてどう観て応えるか 」などと、けっして考

えないでください

 

本作は、私たちが今も生きる核の時代を世界史としてとらえた映画です。

そのために、まず複眼の視点で語られます

 

一つの視点は、世界に開かれていた物理学界が、核兵器をいわば0から1を作る開発競争に加わり、原爆が投下されてしまってその直後までの歴史。

主体となるのは、オッペンハイマー( キリアン・マーフィ )  カラー映像。

 

もう一つの視点は、広島・長崎に投下されたことで終わらず、原爆の増産・水爆開発でいわば1から10000のレベルになり・冷戦で核で対立しあうことになってしまった1959年。

主体となるのはルイス・ストローズ( ロバート・ダウニー・ジュニア ) 白黒映像。

 

ここから回想されるシーン( カラー映像 )では、オッペンハイマーは主体ではなくストローズが追い落した相手。  オッペンハイマーが主体でないのは、受け身になれば悲劇の主人公の印象がより強くなるため。

 

それぞれ個人を主軸にしたのは、インサイダーの話にするため。

彼らが変化していく置かれた状況に翻弄され、葛藤を描くことで、観る人をその渦中に置き、アウトサイダーの観察者にしないため。

 

二つの視点を単純な前後2部にしなかったのは、視点が一つずつに切り替わってしまうた

め。  複雑な時間軸の構成にすることで、視点の交錯する複眼で見せています。

 

一本の映画で戦争を交戦国双方の視点で公平に描くのは難しいこと。

『 史上最大の作戦 』が成功したのは、かつての交戦国が同盟国であり、題材が戦勝国の成功した作戦で、ドイツ側も負けはしたがトラウマはありません。

 

『 トラ ! トラ ! トラ ! 』で、日米は同盟国ですが、題材の真珠湾攻撃は、日本にとっては大惨敗に終わった戦争の緒戦の大戦果。  

アメリカにとっては、いきなりの奇襲で軍人・民間合わせて3000人以上の死傷者が出た屈辱とトラウマ。

日本では大ヒットしましたが、アメリカ国内では批判の嵐となり、議会で問題視され、20世紀FOXのダリル・F・ザナック最後の作品となりました。

 

インサイダーの物語とするために、イーストウッドは硫黄島2部作で、できるだけ敵を描きませんでしたし、クリストファー・ノーランも『 ダンケルク 』では敵のドイツを描きませんでした。   

相手を映すと、観る側の意識が、戦う両者の話に行ってしまい、置かれている状況にインサイダーが葛藤するのが見えにくくなってしまうため。

 

 

 

スパイク・リー硫黄島2部作ではイーストウッドにかみつき、今回もノーランに提言しましたが、彼はアイデンティ・ポリテイクスを語り、作品を作る人

逆に黒人として主張することに囚われてしまい、結果『 セントアンナの奇跡 』は月とすっぽんの残念な作品となってます。

 

本作で広島の被害を映す映像はありません。

そのかわりセリフで、そのあとヒロシマとナガサキの死者は総数ではなく、爆撃で殺された被爆者と放射線で殺された被曝者と分けて挙げられます。  無差別爆撃で殺されたのは、ゲルニカ、上海、重慶、ドレスデン、北ベトナムなど他の場所でもあります。

ヒロシマが大規模であったとしても、ここだけの話ではないと解釈されかねない。

 

 

でも死の灰による虐殺は、他に例のない史上初めてのことで、時間をかけての残虐さ。 

まず本作で東京大空襲の死者数が挙げられるのは、ヒロシマ・ナガサキが被爆 と 被曝の二重の虐殺なのを示すため。

 

見せるのは、被害者を見る対象にすること。

そこから感じるのは、かわいそう、同じ目にあいたくない、あるいはざまあみろ、かもしれない。

被害はヒバクシャのインサイダー視点で描くべきです。

 

見せることで、見えなくさせてしまうこともあります。

 

 

 

「 ヒロシマ・ナガサキは決して忘れてはならない 」と強調することは、かえって過去のある時点に意識を固定させてしまいかねません。

ヒロシマ・ナガサキが忘れられていくのは、現在も私たちが核の時代に生きていることを忘れているからです。

ヒロシマ・ナガサキは今の状況の原点であること 」。  そう考えることで線として現在と過去がつながります。

原爆記念日に報道すべきことは、まず現在の核の脅威なのでしょう。

 

『 オッペンハイマー 』は世界史の視点で作られています。 

ヒロシマ・ナガサキは世界の問題ですが、日本人は原爆を日本とアメリカとの歴史でしか見ない、としばしば批判されます。

 

たしかに原爆を投下したのはアメリカで、大勢の日本人が殺されたのはたしかですが、核開発競争はアメリカだけでなく、ドイツも日本もしていました。

 

マンハッタン計画にはイギリス・カナダも参加し、携わっていたのは多くの亡命ユダヤ人。  核開発はアメリカ単独ではなく、知の連合軍の生み出したもの。

アメリカとの国力の差だけでなく、ドイツと日本は知が世界から孤立していたのです。

 

そして、戦後核は拡散し、今も人類全体が核の時代に生きています。

核は世界史なのです。

 

原爆はその場所にいた老若男女・国籍・人種を問わず無差別に虐殺する兵器。

ヒバクシャは日本人だけでなくアメリカ人や朝鮮人もいましたし、韓国に帰った人、戦後アメリカに渡った日本人もいます。  僕は日本人だがヒバクシャではありません。

ヒバク国とヒバクシャは一致しません。

 

「 はだしのゲン 」が典型ですが、ヒバクシャがしばしば怒るのは、戦争や原爆やアメリカだけでなく、戦争を始めた日本の国、日本社会がふだんは差別し無視しているのに、アメリカに文句言う時だけのネタにすること。  原爆は単なる国と国との話ではありません。

 

 

 

科学者としての野心を抑えられず、作ってはならないものを作ってしまった男の話。

まちがいではありませんが、本作はそうしたくくりで説明してしまえるようなスケールではありません。

 

1920年代、物理学者たちは国際的に交流していました。

ユダヤ人もシオニストは少数派で、多くはアインシュタインをはじめ、現在の日本の護憲派左翼・リベラルと親和性が高い平和主義のコスモポリタンでした。

アメリカの共産党、シンパのリベラルも、反ファッショで平和を愛し、弱者に関心が高い人たちでした。

 

そんな彼らが1930年代、さらに第二次世界大戦と時代の嵐に翻弄され、考えを変えざくなり、核兵器開発にどう関わっていったか。

現在は1930年代に似ていると言われるなか、『 オッペンハイマー 』は世界史を語っている映画なのです。

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