おずおずと小津を語る その1
2023年12月12日は小津安二郎の生誕120年没後60年にあたります。
誕生日に亡くなったというのも珍しいが( ちなみにトリビアを書くとイングリッドバーグマンもそう )、12月12日というゾロ目、100年前映画界に入った大正12年の12月12日に20歳を迎え、60歳の還暦に亡くなるという数字の並び方に、完全主義者の美意識を感じてしまう。 ( 知らんけど )
現代の感覚だと60歳というのはいかにも早逝だと思うし、『 晩春 』(1949年)が45歳、『 東京物語 』(1953年)が49歳の作品で、その老成ぶりにはやはり驚いてしまう。
これまで多く語られ評価の確立している巨匠を語るのはハードルが高いものですが、
中でも特に小津安二郎は個人的に語りづらいなとおもいます。
当コラムも「 おずおずと小津を語る 」などとベタなオヤジ感覚のタイトルにしてしまいました。
語りづらい理由の一つは、確立された評価の高さ、自分ごときが今更と感じます。
キネマ旬報をはじめとして,日本映画のオールタイム・ベストテンを選ぶと長年にわたり、『 東京物語 』と『 七人の侍 』が1位を争い、議論を繰り広げてきました。
2013年英国映画協会の史上最高の映画の監督投票でも1位を獲得すなど国際的評価も高い。
別の理由は、評論家や監督、脚本家ら映画関係者ではそうでしょうが、一般の映画ファン、あるいは普段あまり映画を観ない人たちの間ではどうでしょうか。
名前を知っていても観たことがない食わず嫌いや、観ても独特の作風になじめない、好みではないという人もけっこういて、支持者との温度差が大きく話がスルーされそうで難しいなと思います。
「 小津安二郎にはしばしば否定的言辞がつきまとう 」と蓮實重彦・著「 監督・小津安二郎 」の指摘。
批判する側だけでなく、賞賛する側も否定的な言辞を使う。
撮影技法で言うと、小津の映画ではキャメラが動かない。
ローアングルで固定され、移動撮影や俯瞰もほとんどないし、フェイドイン・フェイドアウト、オーバーラップもほとんど見かけない。
『 晩春 』以降確立したいわゆる小津調で描かれるのは、鎌倉や東京山の手が主な舞台で、古き美しき日本の情感を感じさせる家族の物語。
それは戦後の激動の時代とは隔絶し超然した神話ともファンタジーとも言えるような完璧な世界。
公開当時識者からも観客からも高く支持されたが、一方で若い世代を中心に社会批判のなさ、昔と変わらない道徳観とみなして、なじめない、あるいは反発した人も多くいました。
小津に反発を感じたのは、まず松竹の助監督たち次の世代、。
吉田喜重は雑誌で率直な批評を発表、めずらしく酒席で小津から「君にわかってたまるか」と絡まれた。
監督になった大島渚は、小津の完璧に計算構築する手法とは違って、政治的なテーマを即興で撮りセンセーションを巻き起こしました。
『 東京物語 』で助監督だった今村昌平も反感を抱いていたが、日活へ移って撮った『 豚と軍艦 』を脚本家・野田高梧と小津から「 汝ら何を好んでうじ虫ばかり書く 」と言われて猛反発し、逆に以後の創作への指針となった。
山田洋次は当時ナンセンス、退屈と思ったそうですが、しだいに小津の存在を意識し『 東京物語 』を課題として、後年『 東京家族 』さらに同じキャストで『 家族はつらいよ 』シリーズを撮りました。
次の世代にとって小津は守旧派の仮想敵、あるいは越えるべき立ちはだかる壁だったのではないでしょうか。
現代の観客にとっても、特に結婚や家事についてのその女性観、ジェンダーロールへの違和感を感じさせるでしょう。
それに対し、小津の世界が変わってて独特なのは支持する側もわかっているので、たとえば外国人や若い世代にはわからないなどと否定的な言辞で擁護してしまう。
自らの審美眼を誇り骨董品を愛でるかのような狭く閉じた同行の士だけにとどめてしまいがちになります。
その2に続く>>