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私の好きな映画

LOQ
2023/05/16 14:10

伊丹十三・生誕90年  映画は家族  ④  最初の妻

 伊丹十三・生誕90年  映画は家族     ③ 愛媛・松山での出会い からつづく

 

 松山東高校も2年生の秋10月に休学、翌年4月松山南高校の2年次に転入。

 卒業したのは1954年3月 21歳。  大阪大学理工学部を受験・失敗。

 学歴をもし言うなら、3年ダブっての高卒。 スタンリー・キューブリックもだが、知性と学歴は別物

 

 新東宝編集部を経て、商業デザイナーとなり、編集者時代の山口瞳と知り合う。

 このころ、ヨーロッパを旅行したり、文化芸術学院に学ぶ。

 

 1960年1月 大映東京に入社。 27歳。

 当時の芸名は伊丹一三。 姓の「 伊丹 」は父にちなんで、名の「 一三 」は阪急電車・東宝・宝塚歌劇の創業者・小林一三にちなんで、大映のドン永田雅一が命名。

 

 そして同年7月、川喜多和子さんと最初の結婚

野上照代さんの紹介で知り合ってから2か月の電撃結婚だった。

 

 川喜多和子さんの両親は川喜多長政川喜多かしこ夫妻。

 

 川喜多長政さんは1922年東亜商事を創設。 タイピストとして入社したかしこさんと結婚。  夫婦二人三脚で『 望郷 』『 自由を我等に 』『 民族の祭典 』『 制服の処女 』などを買い付け、洋画文化を日本に根付かせる。

 

 東和商事は1936年原節子のデビュー作であり、ゲッペルス肝いりの日独合作『 新しき土 』の日本側製作・配給。 日本側監督が伊丹万作

 但し伊丹万作は脚本段階からドイツ側と衝突、違う2つのバージョンで完成。

 DISCASにはドイツ版( アーノルド・ファンク監督)のみあります。

 

 1939年陸軍の依頼で、上海に中華電影設立。

 戦後1947年公職追放になるが、国際的な弁護の声が上がり、1950年追放解除。 

1951年東和商事は東和映画と改称。 『 羅生門 』のヴェネチア映画祭出品に協力。  同社は現・東宝東和

 

 妻の川喜多かしこさんは英語、フランス語、ドイツ語が堪能。

 欧米各国の映画界と人脈があり、国際映画祭の審査員も多数務めた。

 1952年国立フィルム・アーカイブ設立に尽力。

 

 そのお二人の娘の川喜多和子さんは、ソルボンヌ大学に通い、英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語に堪能。

 長年のヨーロッパ暮らしを終えて帰国1960年黒澤明監督の『 悪い奴ほどよく眠る 』の助監督を務め、共通の知人の野上照代さんの紹介で伊丹さんと出会う。

 結婚してすぐ、伊丹さんは1年で大映を退社するが、『 黒い十人の女 』にその姿をとどめる。

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 川喜多かしこさんが提唱してきた芸術映画専門の映画館をつくる運動が、1961年映画会社アート・シアター・ギルド(ATG)となって実を結ぶが、そのロゴマークをデザインしたのが伊丹さん。

 1962年伊丹さん、和子さんは共同で短編映画『 ゴムデッポウ 』を制作。

 このあと伊丹さんは2本の外国映画に出演。 国際俳優のさきがけとなる。

 

 1963年『 北京の55日 』( ニコラス・レイ監督 )

 1900年の北清事変、義和団の蜂起に包囲され籠城する北京の各国公使館を描いた作品で、共演はチャールトン・ヘストンデヴィッド・ニーヴンエヴァ・ガードナーら。

 伊丹さんは共に籠城する日本の駐在武官・柴五郎(実在の人物)役。

 史実では義和団の乱を鎮圧した八か国連合軍の主力は日本軍であり、のちに日英同盟、日露戦争関係してくるが、映画でも重要な役。

 

1965年『 ロード・ジム 』( リチャード・ブルックス監督 )

原作はジョゼフ・コンラッドで、自らを文明国とみなすイギリス人が野蛮・カオスとみなすオリエント(「 闇の奥 」ではアフリカ、本作ではジャワ )と出会うが、自分たちの抱える闇・残忍さが露わになり、苦悩するという話。

 共演ピーター・オトゥールジェームス・メイスン

 伊丹さんは現地民の若者の役。

 

 両作の出演談はエッセイ「 ヨーロッパ退屈日記 」に、

 友人となったピーター・オトゥールのことは「 女たちよ ! 」に書かれています。

 和子さんは海外ロケに同行したようで、また伊丹さんの文才を評価して書くことを勧めたようですが、しだいに互いの熱は醒めて、1966年協議離婚。

 

和子さんは再婚相手の柴田駿さんと1968年フランス映画社を設立。

1976年BOW( Best of the World )シリーズを立ち上げ、『 ミツバチのささやき 』『 ストレンジャー・ザン・パラダイス 』『 ベルリン天使の詩 』などを配給。

「 1900年 」を映画祭上映でない一般興行で第1部・第2部の5時間16分を世界で初めて( おそらく唯一 )上映し、ベルナルド・ベルトルッチ監督を感激させた。

前にも書いた表現ですが、その映画バカぶりは世界に誇っていいです。

 

川喜多かしこさんは岩波ホール支配人の高野悦子さんとともに1974年エキプ・ド・シネマ・シリーズを立ち上げ『 家族の肖像 』『 旅芸人の記録 』などを上映。

 

川喜多母娘はミニシアター・ブームの火付け役であり、中核にいました。

 

1993年伊丹さん監督作『 大病人 』公開。

その1か月後川喜多和子さんはくも膜下出血により急死。

伊丹さんは元妻の急死にどんな思いを抱いたでしょうか。

 

川喜多映画記念館は鎌倉にあります。

まだ行ったことがないので、いつか行ってみたい。

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1 件の返信 (新着順)
カニさん バッジ画像
2023/05/12 10:05

ATGの”始まり”が知れて嬉しい
何かワクワクしてしまいました


LOQ
2023/06/08 16:58

返信が大変遅くなり申し訳ございません。
単館系の映画館の雰囲気なつかしいですね。

atgをご存じない世代、エキプ・ド・シネマやBOWシリーズをご存じない世代が増えてきたのは寂しいかぎりです。