おずおずと小津を語る その3
おずおずと小津を語る その3日本映画が最初に国際的に知られるようになったのは1950年黒澤明『 羅生門 』。溝口健二、成瀬巳喜男、市川崑、大島渚あるいはゴジラなどがそれに続きました。 生前小津が海外で評価されたのは『 東京物語 』が1958年ロンドン映画蔡で受けたサザーランド賞のみ。 独創的で創造性に富んだ監督に贈られるという
おずおずと小津を語る その4
おずおずと小津を語る その4小津安二郎は1903年東京生まれ、10歳で父親の故郷三重県松阪に転居。大学受験に失敗した後、小学校の代用教員をしていた。同市には小津安二郎松阪記念館があります。( ちなみに市川崑は近くの宇治山田出身 )19歳叔父のコネで松竹蒲田撮影所に撮影部助手として入社。映画青年でしたが、もっぱら外国映画ファンで
おずおずと小津を語る その2
おずおずと小津を語る その2 小津安二郎は『 晩春 』以降、脚本家・野田高梧とのコンビでいわゆる小津調と呼ばれるスタイルを確立。芸術性が高いが、決して理屈っぽい難解な映画ではない。 ただリテラシーを考えないと、ドラマの見どころがつかみにくいのはたしかでしょう。 黒澤明と小津安二郎と作風が対照的なのでドラマの描き方を対比してみる
おずおずと小津を語る その1
おずおずと小津を語る その12023年12月12日は小津安二郎の生誕120年没後60年にあたります。 誕生日に亡くなったというのも珍しいが( ちなみにトリビアを書くとイングリッドバーグマンもそう )、12月12日というゾロ目、100年前映画界に入った大正12年の12月12日に20歳を迎え、60歳の還暦に亡くなるという数字の並
まるで私のこと?『波紋』
まるで私のこと?『波紋』【これって、今の私?】何かに没頭したいのよ。このお年頃の女性、とてもわかる。まるで私じゃん。子育て、旦那の面倒、介護、仕事のストレス、ご近所トラブル、対人関係。あーー、しゃらくせぇ。全部放り出したい!けどそんな事出来ないし、誰かに丸投げする事も出来ない。やるのは全部自分だ。なのに、あの男は逃げた。依
篠田三郎の出演映画 その3
篠田三郎の出演映画 その3もう1回、篠田三郎である。大映が倒産し、72年は「熱血!猿飛佐助」などテレビが活動の中心となった篠田だが、映画にも出演している。72年はATGの「哥」の主演を務めている。ATGはアート・シアター・ギルドの略。まあ低予算で芸術性の高い映画を作ることを目指した会社という感じであろうか。「哥」は「歌」の異
【ネタバレなし】翔んで埼玉最高でした!
【ネタバレなし】翔んで埼玉最高でした!今更ですが、書かずにはいられない! 佐藤健さんの作品を中心にコラムを書く部屋なのですが。。。これは書きたい!(健さんも埼玉県出身なので許して笑) 。。。ということで。。。『翔んで埼玉Ⅱ』を観てきましたーーー!!(c)2022映画「翔んで埼玉」製作委員会 『翔んで埼玉』の第2弾です!待ってましたー!!
コトー先生が教えてくれた生と死
コトー先生が教えてくれた生と死人の営み、本来の自分、他者との関わり、そして生と死。様々な要素が絡み合いながらも、観客を混乱させることなく感動に導く。コトー先生や島の人たちに魅了された2時間はあっという間だった。 私は、看護師と言う職業柄、やはり医療職者の視点で観てしまうのは否めない。 どのような処置を施しているのか、どのような
2023年に観た映画(42) 「首」
2023年に観た映画(42) 「首」私の映画人生の中で、劇場で観なかった事を後悔した邦画の筆頭に挙がりそうなのが「その男、凶暴につき」。口数の少ない、映像で語るその演出に惹き込まれた覚えがあります。 北野武監督の最新作は、これまで彼が散々撮ってきた極道映画に欠かせない「xxの首、取ってこんかい!」という台詞を地で行く時代のお話。信長(
篠田三郎の出演映画 その2
篠田三郎の出演映画 その2引き続き篠田三郎である。71年になり「高校生ブルース」で共演した関根恵子(高橋惠子)とコンビで主演となったのが「高校生心中・純愛」である。この頃の大映の高校生ものと言えば、篠田も出演していた「高校生番長シリーズ」のような不良が中心で、「軟体動物シリーズ」や「ジュニアセックスシリーズ」のような際どい性